「インドのみどりさん」という旅人伝説2006年12月19日 21時14分52秒

ドミトリー

昨日、別のサイトで「インドのみどりさん」の話題がでました。
なつかしいキャラクターなので、今日はこの話題を提供したいと思います。

「インドのみどりさん」というは「カラダを売って、そのお金でインドを長期間旅している日本人女性」のことです。

1980年代に入ると「地球の歩き方」も創刊され、日本政府は「テンミリオン計画」(日本から海外旅行者を年間1000万人にするという計画。当時の日本政府で唯一目標を達成した政策と言われています。)などぶち上げて、海外個人旅行が特別なものでなく一般的なものなってきました。
その中で格安航空券を使って可能な限り低予算で長期間旅をする旅行者、バックパッカーというスタイルも市民権を得てきました。

そんなバックパッカーの行き先の一つがインドでした。
なけなしの予算でインドにたどり着き、日本人の溜まり場の安宿に沈没して旅をする。
金は無いが時間だけは売るぐらいある旅行者たちが毎夜集まってする話は、どうやって安く旅をするか、交換率の良い両替屋という話からマリファナの入手のしかた、女の買い方までさまざまでした。

その彼らにとって会いたくても会えないが日本人の若い女性。
彼らが泊まるような安宿に一人旅で泊まる女性など無きに等しいですし、噂話か作り話が一つの形となったのが「インドのみどりさん」です。

この話が出ると、話の輪にいる男から、かならず「そーいえば、オレがバラナシに着いた日に、ミドリさんは前の日に男と寝てブッダガヤに行った、という噂を聞いた」とか
「オレが宿に着いた時、髪の長い日本人の女が身なりの良い男と車に乗っているのを見た。隣にいるヤツに聞いたら、みどりさんらしい。」など、まことしなやかに話すのがいました。
でも本物のみどりさんと会ったという人はだれ一人いませんでした。

私はこの話はバンコクの安宿でインド帰りの旅行者から聞きました。トルコでも旅行者から聞きました。中国では中国版「みどりさん」の話も聞きました。
下川裕治氏の著書でも、この話がありました。
名前も場所も変わっても「カラダを売って金をかせいで旅を続ける」というはそのままでした。

みどりさんは、何年にもわたって歳を取らずビザの有効期限も関係なしにカラダを売りながら旅をしていたのでしょう。
私なりに解釈すると、つまり当時インドを旅しているビンボー旅行者にとって欲しいものを具象化した女性かなと思います。

若い日本人女性 → 会いたくてもいない。
              日本語で女性と話をしたい。
カラダを売る  → どんな手段でもいいからお金がほしい。
            日本人女性とセックスしたい。
旅をする    → ずっと旅をしていたい。

おそらく、そういう願いが話となりいろんな枝葉もついて「旅人伝説」となったのでしょう。
これ以外にも「とんでもない迷惑な旅行者の話」なども国を超えて聞いたことありました。こちらは実在の人物もいたようです。

そして、このような「旅人伝説」は90年代半ばでパタッと聞かなくなりました。
私がドミトリーに泊まらなくなり旅行者と話をしなくなったのもありますが、インターネットのが普及してきたのに伴い、この手の話は消えていったような気がします。

90年代半ばまで、基本的な情報はガイドブック、だいたい1年以上前の情報とか、現地取材もろくにしていないのもあったりして・・・店が無くなっている、地図の場所に行ったらホテルが無い、料金が変わっているなんていうのは当たり前、そのため正確な情報をつかもうと思うと現地で口コミで入手するのが一番という旅のスタイルでした。
国によっては電話もつながらない、つながると話のネタになったぐらいでした。

PCの前に座っているあなた、今、旅の予約をしようと思ったらどうされますか?
航空会社や旅行代理店サイトからネットでほとんど完結できますよね
航空券や現地交通機関の乗車券、宿泊予約からイベント予約までできてしまい、現地情報もネットでほとんど検索できほぼ正確な情報を入手できてしまいます。
旅先でも主要な街にはネットカフェがあり、メールのやり取りできて情報交換ができます。

私も以前は切符を買うのに一日かけたとか、誤情報に振り回されたことは数しれず。
それを思うと便利になりました。
これだけ情報伝達が正確になってしまうと、このような旅人伝説が出る余地がないでしょうね。
当時の旅人にとってノスタルジーを感じさせる思い出話の一つですね。