「地球の歩き方」の歩き方、という本 ― 2009年11月29日 16時32分21秒
「地球の歩き方」の歩き方(山口さやか・山口誠 共著 新潮社)という本が出版された。
これは「地球の歩き方」創刊30周年を記念して創刊当時のメンバー4氏(安松清、西川敏晴、藤田昭雄、後藤勇)と関係者に100時間以上のインタビューをもとに書かれた、「地球の歩き方」のクロニクルである。
私が「地球の歩き方」とうガイドブックを知ったのは1984年の中国である。一緒に行ったメンバーの一人が持っていて、私の持っていたガイドブックよりはるかに旅の目的に合っていた。そして、その中国旅行で使ったツアーがDST(ダイヤモンド・スチューデント・ツアー)であった。
以来25年、海外旅行には必ずこのガイドブックを持っていってる。
長年、使ってきた疑問など関係者のインタビューで明らかになっていく過程は読んでいてとても面白い。
それと過剰な感情移入や自慢話などがなく、どちらかといえば淡々と書かれているので、地球の歩き方の30年の変遷がとてもよくわかる構成となっている。
以来25年、海外旅行には必ずこのガイドブックを持っていってる。
長年、使ってきた疑問など関係者のインタビューで明らかになっていく過程は読んでいてとても面白い。
それと過剰な感情移入や自慢話などがなく、どちらかといえば淡々と書かれているので、地球の歩き方の30年の変遷がとてもよくわかる構成となっている。
地球の歩き方の創刊は1979年、この時、「ヨーロッパ編」と「アメリカ編」の2冊が発売された。
創刊までの経緯が、ちょっと驚く。
1972年、空前の好景気の中ダイヤモンド社の就職事業として企業内定学生を他企業にいかないようにするために海外研修旅行をおこなっていた。その研修をJTB(当時は日本交通公社)と連携して
当時としては割安で、イギリスで語学研修を実施していた。また学生が卒業後ローンで払えるよう三菱銀行と提携して便宜を図っていた。
今の時代と違って、経費も格段に高かったしパスポート取るノウハウも個人は知らなかった時代である。
それがダイヤモンド・スチューデント友の会・・・つまりDSTの前身である。
創刊までの経緯が、ちょっと驚く。
1972年、空前の好景気の中ダイヤモンド社の就職事業として企業内定学生を他企業にいかないようにするために海外研修旅行をおこなっていた。その研修をJTB(当時は日本交通公社)と連携して
当時としては割安で、イギリスで語学研修を実施していた。また学生が卒業後ローンで払えるよう三菱銀行と提携して便宜を図っていた。
今の時代と違って、経費も格段に高かったしパスポート取るノウハウも個人は知らなかった時代である。
それがダイヤモンド・スチューデント友の会・・・つまりDSTの前身である。
1973年、安松氏が配属され、氏はヨーロッパの長期旅の経験から「自由旅行」の企画を思いつく。
当時は海外に行く人は少数だったので語学研修に行くフライトの空いている席に研修と同じ日程でフライトと到着日のオリエンテーションと帰国前日のために宿を1泊ずつセットしたツアーをつくりだした。
つまり安松氏と一緒にロンドンへ飛び、自由旅行の学生達に着いた日に現地でオリエンテーションを行い、30日後に同じホテルに戻ってきて確認して一緒に帰国するという形式。当時、自由旅行に対応した日本語のガイドブックなど無い時代だったので、そういうオリエンテーションが必要であった。
これが私も中国旅行で利用したDSTのフライトと到着前後のホテルが付いているツアーの原形はこれだったのか、今になって納得したのである。
そして、その参加者の感想をまとめた小冊子を次のツアーの説明会などで使った、これが地球の歩き方の原点である。
それを安松氏がヨーロッパ編、西川氏がアメリカ編を担当して1979年に「地球の歩き方」が創刊された。
当時は海外に行く人は少数だったので語学研修に行くフライトの空いている席に研修と同じ日程でフライトと到着日のオリエンテーションと帰国前日のために宿を1泊ずつセットしたツアーをつくりだした。
つまり安松氏と一緒にロンドンへ飛び、自由旅行の学生達に着いた日に現地でオリエンテーションを行い、30日後に同じホテルに戻ってきて確認して一緒に帰国するという形式。当時、自由旅行に対応した日本語のガイドブックなど無い時代だったので、そういうオリエンテーションが必要であった。
これが私も中国旅行で利用したDSTのフライトと到着前後のホテルが付いているツアーの原形はこれだったのか、今になって納得したのである。
そして、その参加者の感想をまとめた小冊子を次のツアーの説明会などで使った、これが地球の歩き方の原点である。
それを安松氏がヨーロッパ編、西川氏がアメリカ編を担当して1979年に「地球の歩き方」が創刊された。
なぜ黄色い表紙、青い小口、そして顔なしの表紙デザインになったのかがすべて明らかになっていく。
また新しい国のガイドブックの制作方法や改訂版の作成の背景も記述されている。
1980年代からバブル時代まで続いた空前の卒業旅行ブームを背景に刊行点数を増やし、湾岸戦争、9.11からSARSから猿岩石まで、時代に合わせての変化、利用者の変化による編集方針の変化など「なるほど、こういう理由で変わったのか。」と頷ける。
また新しい国のガイドブックの制作方法や改訂版の作成の背景も記述されている。
1980年代からバブル時代まで続いた空前の卒業旅行ブームを背景に刊行点数を増やし、湾岸戦争、9.11からSARSから猿岩石まで、時代に合わせての変化、利用者の変化による編集方針の変化など「なるほど、こういう理由で変わったのか。」と頷ける。
1990年頃に発生し当時明治大の教授、栗本慎一郎や大手雑誌による「地球の歩き方バッシング」や、外務省から在外日本大使館にくるトラブルで地球の歩き方を持っている若者が非常に多いというクレームにいかに対応していったのか。
なぜ過保護なくらいの情報量を掲載しているのか、今まで「地球の歩き方」に対して感じていた疑問が解けていく。
なぜ過保護なくらいの情報量を掲載しているのか、今まで「地球の歩き方」に対して感じていた疑問が解けていく。
地球の歩き方の30年は、日本人の海外旅行スタイルの形を決めたというか、それに合わせて変化してきた30年と言える。
それを認識させてくれる本である。
それを認識させてくれる本である。
後半にこのような記述がある。
”「地球の歩き方」や「AB-ROAD」が広まった80年代半ばに20代だった世代には、元気な人が多くて、その人たちはずっとコアな海外旅行の愛好家で、今も私達の良き読者が多いです。。40代後半から50代になった彼らは、いまでも根強いファンとして私達を支え、また個人旅行を引っ張ってくれる重要な層です。”
・・・これって、私もその一人やん。
”「地球の歩き方」や「AB-ROAD」が広まった80年代半ばに20代だった世代には、元気な人が多くて、その人たちはずっとコアな海外旅行の愛好家で、今も私達の良き読者が多いです。。40代後半から50代になった彼らは、いまでも根強いファンとして私達を支え、また個人旅行を引っ張ってくれる重要な層です。”
・・・これって、私もその一人やん。
写真はこの夏利用したポルトガル編と右は1989年、韓国で発売されていた「地球の歩き方・日本編」。
韓国版を見ていると当時の編集や紙質やレイアウトを思い出せてくれる。
韓国版を見ていると当時の編集や紙質やレイアウトを思い出せてくれる。
今は表紙にコピーなくなったけど、以前は表紙にコピーがあったことを覚えてます?
旅に出たくなるコピーや、その国のイメージを表している数行のコピー。
例えばヨーロッパ編
旅に出たくなるコピーや、その国のイメージを表している数行のコピー。
例えばヨーロッパ編
ヨーロッパを1ヶ月以上の期間
1日3,000円以内で
ホテルなどの予約なしで
鉄道を使って
旅する人のための徹底ガイド
1日3,000円以内で
ホテルなどの予約なしで
鉄道を使って
旅する人のための徹底ガイド
この本の作り手のコンセプトが明快に出てます。
若者が海外を旅行しなくなった時代、次はどのような方向に向かうのか、私はもうしばらく「地球の歩き方」と付き合いましょうか。
コメント
_ 安松清 ― 2017年05月25日 05時32分23秒
_ 安松清 ― 2017年05月25日 05時34分59秒
出来ましたら、いちどお目にかかりたい。
お時間に余裕があって、暇潰しの一つと思ってお付き合いいただければ幸いです。
お時間に余裕があって、暇潰しの一つと思ってお付き合いいただければ幸いです。
_ ogawa ― 2017年05月25日 22時31分13秒
>安松様
よもやご本人にコメントいただけると思いませんでした。
古い記事へのコメントありがとうございます。
ぜひ、私も地球の歩き方のお話を聞かせていただきたいです。
よろしくお願いします。
よもやご本人にコメントいただけると思いませんでした。
古い記事へのコメントありがとうございます。
ぜひ、私も地球の歩き方のお話を聞かせていただきたいです。
よろしくお願いします。
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