京都駅のクリスマスツリー2011年12月01日 21時35分59秒

師走に入りましたね。
紅葉真っ盛りの京都ですが、京都駅の大階段には恒例のクリスマスツリーが登場しました。

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今年もあと1月。
走りますか。

今年の紅葉、総集編をアップしました2011年12月03日 15時25分34秒

今日は雨のうえ、母を病院まで送迎したりしていたので珍しく家にいます。
そのため朝から今年の紅葉の写真をピックアップしていました。

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今年は11月が暖かかったこともあり、例年より一週間遅れという感じです。
おそらく京都では今日あたりが見頃のピークかと思います。
12月に紅葉というのも遅いですね。

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ピックアップしました写真はコチラにアップしています。
http://eurasia-walk.sub.jp/kokunai/kyoto26/2011autumn01.html

撮影地は鍬山神社、嵯峨野、石山寺、毘沙門堂、圓光寺、等持院、神峯山寺などです。
美しい紅葉をぜひご覧ください。

『旅行人』の休刊と若者の旅離れ2011年12月06日 22時02分51秒

12月1日発売の『旅行人』という雑誌が、この号で休刊となった。
雑誌の休刊は、雑誌受難のこの時代、特別珍しいことではい。
ただ、この雑誌の休刊(実質は廃刊)は、若者の海外旅行の一つの旅のスタイルの終わりを象徴していると考える。
いい機会でもあるので、若者の海外旅行離れと絡めて、私の考えていることを書いてみる。

旅行人

この雑誌は、イラストレーターの蔵前仁一氏が、1980年代『遊星通信』という海外旅行の口コミ情報やレポートを集めたミニコミ誌を発行したことに始まる。その後、蔵前氏が長期の旅に出て、帰国後『旅行人』と改め発行し、その後、有限会社「旅行人」を設立し商業雑誌として出発した。

この雑誌が創刊された1980年代半ばは、「自分探しの旅」と称して、若者が、夏休みや春休み、卒業旅行などを利用して海外を長期にわたって旅することが当たり前になってきた時代であった。

そのような時代背景のなか、この雑誌は、バックパック・スタイルで海外を長期にわたって旅をする若者や旅好きから支持された。
当時このようなスタイルの雑誌は少なく、新しい旅の情報が載っていることもあり、順調に発行部数も伸ばしていった。
そして、旅行者が自分の体験を投稿し、それを読んだ読者が旅に出るというサイクルでさらに読者を増やしていった。
この雑誌に投稿や執筆していた者で、力を認められ商業紙にデビューした作家、マンガ家やイラストレーターも現れた。

また、月刊誌でありながら年11回の発行という変則的なスタイルを取っていた。それは蔵前氏自身が旅に出るため、それが年1回、1ヶ月ということで、その月は発行しないというのが理由という旅人らしい雑誌であった。

『旅行人』以外でも、海外旅行者が増えるのと比例し「海外旅行記」というカテゴリーの書籍がプロ、素人問わず数多く出版されるようになってきた
まさに玉石混淆であったが、書店の棚を占有するようになってきたのである。

テレビでも海外の旅番組が数多く作られゴールデンタイムにオン・エアーされていた。
とどめは1996年の「猿岩石」の旅である。
ユーラシア大陸をヒッチハイクしイギリスまで行くという旅は、ビンボー旅行を映像化し、それを視聴者は居心地の良い茶の間から一種のショーとして見るという内容であった。それは社会的ブームを巻き起こし、帰国後、出版した『猿岩石日記』が100万部以上売れたである。これがバックパック・スタイルの旅のピークであった。

この時期、もう一つの旅のスタイルが生まれた。それは空前の円高をバックに若い女性を中心とした「買い物ツアー」である。
バブルがはじけた後も、1ドル80円を切るという円高が続き、香港やシンガポールで「買い物」をすることを目的として海外旅行をする若い女性が増えていったのである。

ニッポンの海外旅行

社会学者の山口誠氏は自書『ニッポンの海外旅行』(ちくま新書)にて、買い物ツアーを以下のように解説している。
「買い物ツアーは、円高のメリットを享受し、その土地の文化や歴史とは関係の無い消費が目的の旅行である。そのことにより海外旅行は、一生に一度のイベントから、国内旅行より安く、何度もリピートする旅へと変質していった。」
旅行者は、消費を目的として何度も同じ土地に行くため、現地の観光などのツアーも不要となり、航空券とホテルのみの手配を希望するようになった。
そのような需要に応えてできたのが往復の航空運賃と現地ホテルだけを手配した「スケルトン・ツアー」と言うツアーである。このスタイルのツアーは、現地ツアーのコミッションが入らないとか、格安航空運賃の往復よりも安いなど、旅行会社にとっても利益が少ないため、当初は大手旅行会社は発売せず、HISなどの新興の会社が販売し、急速にマーケットを拡げていったのである。

また、「買い物ツアー」が普及してくると、旅行者が求める情報の質が変わってきた。
ガイドブック『地球の歩き方』も安宿や安いレストランの案内から高級ホテルや高級レストランなどの情報を載せるなど編集方針が変化したのもこの頃である。

そして「若者の海外旅行離れ」だが、これらの旅のスタイルの変化の兆しが見え始めた90年代後半より始まったと思われる。
私が、海外で日本の若い旅行者に会わなくなったのもこの頃からである。
当初、私は、日本人の溜まり場宿に行かないこともあり、彼らと接点も無いのでさほど気にしていなかった。
そのうちアジアでもヨーロッパでも、東洋人のバックパッカーは圧倒的に韓国の若者が占めるようになってきた。
タイのカオサン通りなどバックパッカーが集まる所に朝鮮語の表記が増え始めたのも、この頃からである。
そして日本の若者はというと年々出国者が減り、ピーク時の半分以下という統計が出ている。私の感覚だけではなく事実減っているのである。

この原因は様々で、まず、90年代後半より急速に普及したインターネットであると言われている。
旅行情報を活字ではなくネットで集めるということに代わり、また世界の情報が手元でわかるので、わざわざ海外に行かなくても済むようになったというのが理由である。
その次に、度重なる不況で若者の雇用が不安定になり金銭的な余裕が無くなったとも言われる。
また、SARS、9.11など世界情勢が不安定であることも原因であるとも言われている。
たしかに、どれも一理あるように思えるが、それでは日本よりインターネットの利用が進んでいる韓国の若者が変わらず旅をしていることの説明がつかない。
それに、韓国だけが不況や世界情勢と関係ないわけではない。

前出の山口氏は、インターネットの普及や雇用不安より「スケルトン・ツアー」という旅のカタチが原因であると分析している。
スケルトン・ツアーの主要な行き先は、ソウル、香港、台北などの東アジアの都市、もしくはグアム、サイパンなどのリゾートで、日程も2泊3日か3泊4日など短い日程である。
また料金も驚くほど安く、最安値だとソウル2泊3日9,800円、台北2泊3日9,800円など京都-東京の新幹線の片道運賃より安いバーゲン料金で売り出されている。
こうなると東アジアやリゾートへ行くには敷居が低くなったが、それ以外の国に行くとなると、それなりの資金と旅に対する知識が必要となってくる。一部の若者を除いて、割高で行くことに意義を持たない若者は海外旅行から離れていくことになる。
一方、スケルトン・ツアーで定番化した、買い物、食事、などの消費目的の「歩かない個人旅行」は、その国の文化や歴史からも切り離され、その国に行くことの動機も無く、お金を介しただけの消費行動のみで繋がっている。ツアー料金が安いというだけで行き先を決める。そのため1、2度行けば飽きてしまい海外へ行く必然性を感じなくなってしまう。
こうしたことが若者の海外旅行離れの原因であると結論付けている。
結論に至るまでのプロセスはもう少し複雑であるが、要約すると以上のような内容である。


なるほど、私の周りでも、当てはまる若者がいる。
1日でも長く海外に滞在したい、面白いことを体験したい、まだ見たことない風景を見てみたいと考え旅をする若者たちは少数派となってしまった。
この夏、インドのデリーで会った大学生は、デリー、アグラ、ジャイプールの3都市を回って3泊5日と言っていた。
仕事であるまいし、夏休み中の大学生が3泊5日のインド旅行には驚いたが、これが現実なのだろう。

一方、ボランティアやインターンシップなど目的を持って海外に行く若者は増えている。
また、「韓流ブーム」で韓国へリピートするオバサンたちも目的を持った旅をしていると言える。
もう海外へ行くこと自体を目的とする旅のスタイルは終わり、私自身の旅行記でも書いているが、日本人のバックパッカーは、もはや絶滅危惧種なのである。

さて『旅行人』に話を戻すと、この雑誌も時代の流れに逆らえず、年11回刊行から季刊と発行回数を減らし、おそらく1回の発行部数も減っていたはずである。
近年は年2回の発行となっていた。
インターネットの普及と若者の海外旅行離れが、この雑誌を休刊に追い込んだことは間違いの無いことであり、一つの時代の終わりを感じさせる。
実は私もこの雑誌を買うのは10年ぶりぐらいである。

最終号では「世界で唯一の、私の場所」をテーマに多くの人が作品を寄せている。
椎名誠、前川健一、下川裕司、小林紀晴、高野秀行、田中真知、さいとう夫婦、石川直樹、堀田あきお、グレゴリ青山など44人、皆さん「旅」という分野では有名な作家、ライター、カメラマン、イラストレーターばかりである。。
いわゆる海外旅行記の分野のオールスターキャストである。
23年間にわたる蔵前氏とスタッフの情熱と、それを支持してきた人たちが最後に集ったのである。
まさに雑誌『旅行人』の最後にふさわしい参列者である。

実は、この最終号、予約注文していたのだが、まだ届いていない。
でも気にしない。
スローな旅でいいじゃないか。
バックパックの旅は待っていたことのほうが多かった。
最後の『旅行人』、ゆっくりと読むことにしよう。


太陽柱(サンピラー)・・・12月10日の空2011年12月10日 09時02分24秒

今朝は冷え込みましたね。
そして今日の日の出は、その寒さを象徴する太陽柱現象が発生しました。

12月10日の空

空中の氷の結晶に反射して起こります。
綺麗ですが、撮影していると身体の芯まで冷えました。

今日の夜は皆既月食。
天気は良さそうです。
また寒さに耐えて撮影しますか。


カメラの棚卸し2011年12月10日 18時19分46秒

珍しく一日で日記2本。午前中の太陽柱の写真見てくださいね。
とても綺麗で珍しい現象です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1802978244&owner_id=2049955

今日は午前中、京都に出て糺ノ森で今年最後の紅葉撮影と買い物。
そして午後からカメラの防湿庫の整理。

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妻と「カメラおよび周辺機器はこの防湿庫内に入る分のみ。それ以外の所にに置かない。」と約束しています。
つまり、ここに収まらない分は増やすなということです。
今までも古いカメラやレンズなど処分してスペースを確保してきたのですが、今回、
FUJI FILM X10を買いましたところ収納しきれなくなってしまいました。
そこで午後から棚卸し作業。
防湿庫から機材を出すと「わぁ、こんなものまで残っていた。」と忘れていたカメラが続々出てきました。
全部並べると笑えてきました。
よくこれだけ入っていたな。

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ちょっと紹介します。

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これはフィルム一眼レフ。
一番前はNikonF3・・・1984年に就職した時買ってから20年以上故障することなく働いてくれたメインカメラです。これを触っていると久しぶりにフィルムで写真を撮りたくなりました。
次がNikonEM・・・F3のサブ機として長年使ってきました。
真ん中がNikonF・・・これは知人のマーヒーさんからの預かりモノです。マーヒーさんが長年、とても大事に使われていた機種です。
その次がNikomatFTn・・・1972年に父が買ってもらったカメラです。
最後はNikomatFT・・・これもマーヒーさんからの預かりモノです。
マーヒーさん、思い出のつまったFとFT、ちゃんと保管していますよ。

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手前は今のメインカメラ、デジタル一眼のNikonD300。
その後ろは交換レンズ、カメラのボディに装着して分も合計したら18本。
こんなに持っていたんだと自分でもビックリ。(苦笑)

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これはフィルムのコンパクトカメラ。
手前はContaxT2・・・1990年発売、即購入。今でも時々使っています。描写力は抜群です。
その次がOLYMPUS O-product・・・バブル時代にはやったの限定生産カメラ。デザインは好きですが中身は当時のAF10ですので写りはそれなりです。
緑のコロンとしたのがCanonIXY D5というAPS仕様の水中カメラです。
後ろは中国製のシーガルという二眼レフカメラ。1989年に香港で買いました。

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これらはいわゆるトイカメラ群で防湿庫の中で一番スペースを取っています。(苦笑)
一番左手前、SMENA35(ロシアカメラ)
右、HOLGA。
SMENAの後ろスケルトン・カメラ、3個で1,000円、一個300円で知人から譲ってもらいました。
HOLGAは後ろは学研「大人の科学」などの雑誌付録カメラ2種。
その左、ポラロイドカメラ・・・今はこの機種のポラフィルムはありません。
ポラロイドカメラの後ろ、一番左奥はHORIZONという180度パノラマが撮れるカメラ。
これは友人のおうしんさんからの預かりカメラです。
おうしんさん、ちゃんと保管していますよ。
ポラロイドみ右となりはプラモデルカメラ・・・一箱1,000円、自分で組み立てるカメラです。
そして一番右奥はこれも学研「大人の科学」の付録の二眼レフカメラ。
最近はトイカメで遊ばなくなったのでSMENAとHOLGA以外は何を持っているかすっかり忘れていました。

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X10 04

これはコンデジ。
NikonCoolpix S3・・・実質、引退。
PENTAX I-10・・・娘のところに出向中。
そして、この写真を撮ったFUJIFILM X10。

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そしてストロボやモータードライブのアクセサリー。
これ以外にもフィルターなどどっさり。
ともかく庫内を整理してX10の収納スペースを確保しました。
やれやれ。

しかし趣味のものとはいえ、どれだけお金使っているか(苦笑)