鈍行列車のアジア旅2011年02月22日 23時04分04秒

鈍行列車のアジア旅
このタイトルを見て下川裕治氏の著書だとわかった人も多いはずです。

先日、新大阪駅で、10分程度の電車の待ち時間に、とりあえず平台に乗っていたこの本を買ったのでした。
活字があれば良いという感じでしたので。

ベトナム、マレー鉄道、北京から上海、台湾など鈍行列車で移動する旅のルポです。Asahi.comのwebで連載していました。

相変わらずどこか貧乏くさい旅をしていて、文体も変わっていません。
いくら選ぶ時間が無かったとはいえ、買うのじゃなかったと後悔しつつ読んでいました。

ただ、読んでいるうちに気がついたのですが、20年以上、貧乏旅行のスタンスを変えずに、コンスタントに旅行記が活字になって出版されているのは、下川氏ぐらいじゃないのか?

20年前までは玉石混合で、様々な旅行記が出版されていましたが、今やインターネットの素人の旅行記に駆逐され旅行記の出版も激減しています。

その中で、20年前のスタイルを変えずに生き残っている下川氏って、もしかしたら凄いのかもしれない。

京都一乗寺けいぶん社書店2010年10月02日 17時53分28秒

京都市内の北東の一乗寺というところに「けいぶん社」という本屋があります。
この本屋は、大型書店と異なり、独自のコンセプトで集めた本を販売しています。
通常の本屋だと文庫、新刊、雑誌など形態ごとに分けて棚を構成していますが、ここはジャンルごとに棚を構成しています。
その中には大手出版社から中小、はては絶版もののデッドストックまで並んでいるいます。
そんな特色のある本屋ですので全国から客が来て、またメディアの取材も多く書店です。

私もかねがね行きたいと思っていたのですが、京都市内でも西の端で仕事をしていると一乗寺方面はなかなか行かないものです。

お昼前、叡山電鉄の一乗寺駅。
この界隈に来るのは何年ぶりでしょうか。

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駅前の商店街を歩くこと3分。

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左手に「けいぶん社」書店はあります。
照明は暖色で、レトロな店内です。

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大型書店のようにぎっしり本があるのではないのですが、そのコーナーごとに特色にある本が並べていたり、特集コーナーでは例えば「昆虫」であれば、メジャーな写真集から中小の出版社のこだわった図表まで。
その本を見ているだけでも楽しくなります。

澁澤栄一だけで棚一つ構成したり、プロレスだけを特集したり、こだわりが感じられ、1時間なんてあっという間でした。


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本日の私の収穫は、古本ではなくデッドストックものを短冊をつけて売っていた本です。

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一つは岩波写真文庫。
1950年代の1冊100円で国内や海外、美術、産業などのテーマごとの写真集で売られていたもの。
50冊ほど平積みされていました。
全部欲しかったのですが、一冊400円なので「イスラエル」「死都ポンペイ」を購入。

もう一つは保育社のカラーブックス。
こちらも平積みで図鑑形式の文庫本で1950年代で200円で売られていたシリーズです。
その中から「ローマ」を一冊。
バチカン大聖堂まえの広場をシトロエン2CVが走っている写真など、こうなると歴史資料ですね。
500円でお買い上げ。

そして最近好きな作家というか社会学者の山口誠氏の新刊「ニッポンの海外旅行-若者と観光メディアの50年史」(ちくま新書)
その旅行の棚にはFigaroのバックナンバーが当たり前のように置いてあります。

他にも欲しい本があったのですが、今日は予算がなかったのでこのぐらいで。
ネットで買うのとは対局にある好きな本を見つける楽しみがある本屋です。
全国から来るはずだ。

ランチは本屋を出て駅に戻る途中の「ナマステキッチン」と覚えやすいカレー屋でネパールカレー。
豆カレーが旨し。

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この界隈はなかなか良い雰囲気です。
また来ましょう。
紅葉で有名な詩仙堂もあることですし。

ロング・グッドバイ2010年09月15日 22時02分05秒

というより「長いお別れ」レイモンド・チャンドラー/清水俊二訳(ハヤカワ文庫)で知っているかたがほとんどでしょう。
フィリップ・マーロウという私立探偵のハードボイルドな世界のお話です。
1970年代、夢中になって読みました。
「さらば愛しき人よ」というのもありました。

その「長いお別れ」が「ロング・グッドバイ」として村上春樹訳で蘇りました。
清水氏の訳はオーソドックスで古典的な翻訳ですが、村上氏の翻訳は今風で面白いですね。
村上春樹の訳で多くの人に読んで欲しいな。

私は、今、この本以外に「西野巷説百物語」(京極夏彦)、「虚栄の肖像」(北森鴻)平行して読んでいます。
このところビジネス書ばかり読んでいたら気分転換ということで。

二つのレクイエム2010年04月11日 15時21分34秒

"うさぎへ
ありがとう、ありがとう、ありがとう。
戻れないところにきてしまったようだ。本当に後悔している・・・
で、はじまる「うさぎ幻化行」(東京創元社 北森鴻 著)は、連載に加筆修正して単行本となった北森鴻氏の遺作となってしまいました。

うさぎ幻化行

ストーリーは「うさぎへ」という遺書とともに「音のメッセージ」を残してあり、その謎を追いかけて、音風景を巡る連作長編です。
これは、各編ごとに、一つの話として完結し、それが最後に全部結びついて謎解きでどんでん返しという氏の得意のパターンです。

今回は「うさぎ」という女性がその謎を追いかけていきます。
最後は、ちょっと意外な終わりかたで、残念ながら氏の一連の著作でのベストではないですが、「音風景」を文字で表現するうまさは、文字から音のイメージが浮かび鳴りだしてくるようです。

1月25日急性心不全で48歳の若さで逝ってしまった北森鴻氏は、最近の作家で好きな作家の一人で、2007年にたまたま北森氏の著書を買ってから、文庫化されている著書は全部読むぐらい好みの作風でした。

blogで「今、北森鴻がおもしろい!」を書いたのが2007年10月でした。
http://eurasia-walk.asablo.jp/blog/2007/10/30/1879874
ながらく雑誌などライターをしていて、デビューは2000年の「狂乱二十四季」。
特に短編が上手い作家でした。
それから10年という短い期間で多く著書を残しで逝ってしまいました。

香菜里屋の工藤マスターにも、
異端の民族学者の蓮丈那智と、その助手の三国にも、
冬狐堂の宇佐見陶子にも、
雅蘭堂の越名集治にも・・・もう会えないかと思うととても残念です・・・合唱

この「うさぎ幻化行」ですが、密林に注文したのが3月13日で、本が上手く入荷できないなどで珍しく遅れて、私の手元に届いたのが3月28日でした。
奥付は再版かなと思ったのですが初版でした、集荷に苦労したことを窺わせます。

さて、北森氏の著作を注文したときに「遺作」というキーワードからの本の紹介がありました。
その中に「レクイエム」というヴェトナム・カンボジア・ラオスの戦場にに散った報道カメラマンの遺作集です。

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31cm×20cmという大判の写真集で発売は1997年(集英社)。
ロバート・キャパからアンリ・ユエ、沢田教一、一ノ瀬泰造、島元啓三郎そして北ベトナムのカメラマンなど100人以上の遺作、本人の死ぬ前の最後の一枚を含めた構成となっています。

この写真集、発売された当初「欲しい」と思っていたのですが6,800円という値段に躊躇して買わず、そのまま記憶から消えていました。
今回、アマゾンの案内で中古で3,100円という値段がついていました。
迷わず購入。

写真だけではなくカメラマンへの追悼文や、中にはラジオ中継した横でカメラマンが打たれて死んだときの実況など、単なる写真集ではなく背景まで理解できるような構成です。
そして、カメラマンが死んだときの状況などとても詳しく書いてあり編集者の思いと信念が伝わる素晴らしい写真集です。

写真一枚一枚を見ていくと、ベトナム戦争の取材で名をあげて一流になりたいというカメラマンの執念と命を懸けて撮った写真の凄み、北側のカメラマンの写真の迫力など一枚の写真の力を強く感じます。

深夜、ウィスキーを飲みながら読んでいる(見ている)と、おもわず「う~ん、すごい」と唸ってしまいました。
そして訳もなく涙が出そうになりました。
レクイエム・・・人の心をふるわせる写真集です。

偽書「東日流外三郡誌」事件2010年02月06日 15時09分24秒

東日流外三郡誌
青森県五所川原市にある一軒の茅葺屋根の家からこの話は始まる。
1970年代半ば、この家の屋根裏から長櫃が落ちてきて、その中には数百冊の古文書が詰まっていた。それが後、世間を騒がせることになる「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)である。

この古文書は、前九年の役で滅ぼされた安部氏の子孫といわれる中世津軽の豪族であった安東一族の歴史や伝承を書き留めたものであり、江戸時代に編纂され、明治時代になって書き写されたとされている。
それが昭和も後半のある日、天井を突き破って落ちてきたのである。

この古文書をめぐり周辺の市町村や人々が架空の歴史や神に振り回され、その終結までの記録が、この本「偽書『東日流外三郡誌』事件」(斉藤光政著 新人物文庫)である。

斉藤氏は、東奥日報の社会部記者であった1992年に一件の民事訴訟の取材で東日流外三郡誌と関わることになる。
その訴訟とは、大分県別府市在住の歴史家が、古文書の発見者、和田喜八郎氏に対して自分の研究を東日流外三郡誌に盗用されたたことによる損害賠償請求訴訟である。
なぜ明治時代に書き写された古文書に、現在の歴史家の研究が盗用されているのかという取材からこの事件がとても大きくなっていく。

斉藤氏が関係者に取材を進めていくうちにこの古文書が「偽書」であることが明かになっていく。
紙の質や墨の年代、筆跡鑑定、表記について明らかに昭和になってから書かれたということが証明されていくのだが、和田喜八郎氏や古田大学教授をはじめ「真書」派が「真実である史料が発見された」と公表するごとに真偽論争がますます複雑になっていく。
その史料が偽物だと鑑定される次の史料が発見されるといういたちごっことなる。
ある村では村史の中で東日流外三郡誌を引用してしまい正史としたことによる困惑、ある神社は和田氏がご神体として持ち込んだ像を神として奉り、信徒を含め祭事を行ってきたが、それが真っ赤な偽物であった悲劇、この偽書を巡って次々と事件が起こる。

中央から抹殺された東北の知られざる歴史にロマンを感じるのか、この偽書を題材に多くの小説も書かれた。判官贔屓というかこういう歴史にロマンを感じて「真実」であってほしい願う人たちを含めて論争が激しくなっていったこの時期、当の和田喜八郎氏が1999年に亡くなってしまった。このことにより和田氏の本心は永久にわからないままとなってしまい、真贋論争は決着のつかないまま年月は経っていった。

そしてこの訴訟の最高裁の判決、原告の勝訴という結果となるのだが、古文書の真偽に関しては触れないという双方にとって曖昧な結末となってしまう。

斉藤氏は、真書派からは、偽書派の急先鋒として非難を浴びることになるが、地元紙の記者としての使命、そして最初から関わった事件を見届けるために11年の長きにわたり取材を続け、その記録をまとめたのがこの本である。

なぜ戦後最大の「偽書」が生まれて、なぜこれほどまで広まったのか、東北人の気質なども含めて東日流外三郡誌を知らなくても十分に面白く、そして著者の地元紙記者としての誇りと矜持を感じることのできる良質のノンフィクションである。

久しぶりにページをめくる手が止まらなかった面白い本である。