下灘駅で結婚式2014年03月10日 21時33分16秒

JR下灘駅。
JR四国の松山と宇和島の間にある無人駅です。
この駅は海の間近で夕陽が美しいことで、知る人ぞ知るという駅です。


私は高校2年の夏休み、テントを担いで四国を一周したことがありました。
その時、宇和島から松山に行く各駅停車のディーゼルカーで、この駅に来ました。
松山までそのまま乗っていくつもりでしたが、あまりにも海が近く、いい天気だったので思わず降りてしまいました。
もう30年以上前のことです。
それっきり下灘駅のことは忘れていました。


近年、この駅を取り上げたポスターなどをよく見るようになり、15年ぶりに愛媛に行く用ができたので、高校時代の記憶をたどるのと、海と夕陽と無人駅の組み合わせで写真を撮りたいと思い行くことにしました。


松山駅は15時36分の列車に乗り下灘駅着16時39分、降り返し下灘駅を17時49分発の列車にのれば松山に18時30分に戻ってくることができます。
松山駅15時36分発の1両のディーゼルカー、ロングシートはほぼ埋まっていました。
大判の時刻表のコピーを何度も確認している方、バックパックの若いカップル、車内を撮影している私と同世代であろうという人、熱心に時刻表を読んでいる若者など、けっこう「鉄分」の濃い方が乗っています(笑)


下灘駅に到着するというアナウンスで、下車するため前に行き外を見ると、駅には正装した人が多くいました。


下灘駅

「???、なんだこの人たちは???」と外を見るとウェディングドレスとタキシードを着たカップルがいました。
「えっ、ここで結婚式をやっているのか」と、さすがに驚きました。
ここで降りたのは6人の乗客。
車内で写真を撮っていた私より年配の男性、若いカップル、20代の男性一人、40代ぐらいの女性一人それと私でした。


下灘駅


下灘駅


降りるとセレモニーの真っ最中。
私が乗ってきた列車に新郎新婦が手を振っています。
周囲には写真を撮る人が多くいますが、それにしてもカメラやプロ用のVTR機材を持った人たちがとても多い。
「テレビ局や新聞社か?」と思い、見渡すと新聞社名をつけた記者やテレビ局であろうカメラマンがごろごろ。それにJR四国の関係者も数人いました。
なるほど、JR四国がこの結婚式をプレスリリースしたため、ほぼ愛媛全社のメディアが来ているのでしょう。
ということは、ここで結婚式をするカップルは初めてのはず。(マスコミは、この手の話題で2回目は来ない)


下灘駅
新婦が友人にブーケを渡す。



音響もちゃんとセッティングされ、進行を担当している司会(アナウンサー)も通常の結婚式と同じようにアナウンスをしています。(ちゃんとした結婚式だ)
海に近いひなびた無人駅での夕陽の撮影は無理!
でも、こんなな珍しいことはそうそうないので、断りをいれて撮影することにしました。
まわりは、私の身分などわからないためか「もっと写真を撮ってください」と言われました(苦笑)
一緒に降りた乗客はイメージと違ったこともあり、ほとんどどこかへ行ってしまいました。


下灘駅
ホームは片面1つの小さな駅です。


下灘駅


下灘駅




下灘駅


ケーキカットなどのメインは終わり、新婦から友人へブーケを渡すタイミングでした。
その後も、新郎新婦は回りの人たちと撮影なので盛り上がっていました。


下灘駅
菰樽が空いていました


17時10分、このための臨時列車で式の参列者と新郎新婦は松山に戻っていきました。
残った友人の一部が後片付けをして、17時30分頃、下灘駅はいつもの姿に戻りました。


下灘駅


生憎、夕陽は雲に隠れてしまい「夕焼けの下灘駅」を撮ることはできませんでしたが、ハレの結婚式と、日常の下灘駅を撮影することができてラッキーでした。


下灘駅


下灘駅
太陽はすっかり雲に隠れてしまいました


下灘駅
灯台も光り始めました


下灘駅


でも手持ちの28mmでは、私のイメージした写真は撮れず。
フェンスや駅舎のため下がって引きで撮れる場所がありません。
24mmか20mmのワイドを持ってくればよかった(残念)
私と一緒に降りた人たちも駅に戻ってきました。


下灘駅
どこかに行っていたカップルも戻ってきて記念撮影


下灘駅


17時49分、松山に戻る列車が到着しました。
翌日、空港のラウンジで新聞を読んでいたら昨日の下灘駅の結婚式の記事が。
なるほど、そういうことだったのですか。


新聞記事



文字の大きさ2013年07月24日 21時22分35秒


地球の歩き方

先日、デリー在住の友人K君とメールのやりとりしていたとき、
私は、最近の『地球の歩き方』の文字が小さくなって、ましてマップに書き込んであるホテルやレストラン、ショップの文字が読めない。
晴天の下なら大丈夫ですが、ホテルや機内の薄暗い照明では見にくいので困っていると書いたら、彼からの返信。
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そろそろバックパッカーの高齢化が問題に。。。。そういう対応するサービスとかあると受けるかもしれませんね。
ついに出た! 地球の歩き方・アダルトエディション! フォントサイズ従来比1.5倍。拡大鏡のおまけつき。
ゲストハウス、「ドミトリー・ユニバーサルアクセス対応」とか。
……笑い事ちゃいますね、すんません。
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いやいや、K君、そのとおりですよ。
最近ルーペも持って行ってますもの(苦笑)
ダイヤモンド・ビック社さん、いかがですか。
御社が『地球の歩き方』を出版して30年です。
当時20代だったバックパッカーも、50代になり老眼で苦労しています。
フォントを大きくするのは難しいでしょうから、栞に拡大鏡はいかがでしょうか?
ご検討をお願いします(笑)

蔵前仁一氏『あの日、僕は旅に出た』と私の旅2013年07月21日 10時10分28秒


蔵前氏著書

先月、「旅行人」から一通のハガキが届きました。
そこには蔵前仁一氏の新刊が発売されるという内容でした。

その、蔵前仁一氏の新作『あの日、僕は旅に出た』(幻冬舎)を読みました。
蔵前氏の「旅」に出るきっかけから、本の出版、出版社「旅行人」を立ち上げ、そして自社出版雑誌『旅行人』の終焉まで、蔵前氏の大学卒業後から今に至るまでの自伝です。
30代以上で「旅」が好きな人にとっては、氏を知らない人はいない、と言えるほどの人です。

雑誌『旅行人』が2011年12月に休刊になった時、私は「『旅行人』の休刊と若者の旅離れ」というテーマでブログに書きました。
http://eurasia-walk.asablo.jp/blog/2011/12/06/6235700
『あの日、僕は旅に出た』という本の内容は、先に書いた蔵前氏の自伝ですが、もう一つは、この30年、若者の旅のスタイルの変遷という「日本の若者の旅行史」でもあります。


蔵前仁一氏は1986年『ゴーゴー・インド』(凱風社)というイラストと文章で構成された旅行記という、当時、あり得なかった体裁と内容でデビューしました。
実は、私は『ゴーゴー・インド』を知りませんでした。
同年、沢木耕太郎氏『深夜特急1・2』(新潮社)が出版され、すぐ買ったのですが、蔵前氏のことは寡聞にして知ることはありませんでした。

蔵前氏を知ったのは、1988年、『DIME』(小学館)の書評でした。
当時の『DIME』の書評は、コラムニストの山崎浩一氏が執筆し、時代を読んだ内容で好きでした。(この書評で江口まゆみ氏など初めて知った作家が多いです。)
その中で蔵前氏の『ゴーゴー・アジア』(凱風社)を紹介していました。
内容は、『ゴーゴー・インド』と人を食ったようなタイトルの旅行記を出版し、それはインドを哲学や社会学では無く、一人の旅行者として見た、いままでになかったスタイルの好著であった。その作者の蔵前仁一の2冊目の著書『ゴーゴー・アジア』が出版された。と記憶しています。

その書評を読み、すぐに『ゴーゴー・アジア』を買いに行きました。あまりにも面白いのでその日のうちに読んでしまい、翌日、『ゴーゴー・インド』を買いに行きました。
そのため、私の持っている『ゴーゴー・アジア』は1988年7月15日初版第1刷発行、『ゴーゴー・インド』は1988年7月30日初版第3刷発行となっています。
*現在『ゴーゴー・インド』は『新ゴーゴー・インド』となり「旅行人」から発売されています。

読んだ感想は「そうそう、こういうことあるよな」「こういう人に会ったな」など自分が旅で感じたことが記してあり親近感を感じるのと、一方で、社会人として働いていたので旅行できるのは夏休みや冬休みの最長10日程度しか取れないため、長期を旅する羨ましさが混ざったものでした。
『深夜特急』は沢木氏自身の青春史であり、マネができるものではないと感じていましたが、蔵前氏の旅は自分の旅と同次元にあり身近に感じたものでした。

そんなこと思い出しながら『あの日、僕は旅に出た』を読んでいました。
読後、ほんとに久しぶりに自分のホームページ「ゆ~らしあ大陸ほっつき歩き・・・」の海外旅行記57編全てを見ました。
http://www.ne.jp/asahi/travel/ogawa/menu.html
もちろん全ての旅行をアップしているわけではありませんが、1984年の中国旅行記から29年間の私の旅の記録です。
初期の頃は写真も少ないし、文章量も少ないですが、それでも、その旅で何があったかを鮮明に思い出すことができます。
旅先で会い、その時だけだった人、20年経っても交流のある人。
楽しかった事、騙された事、逮捕された事、いろんなことを思い出しました。
蔵前氏と並ぶと言うとおこがましいのは承知ですが、私も30年、旅をしてきたのだぁ、とちょっと感傷的になりました。

『あの日、僕は旅に出た』の帯には作家・石井光太氏が「日本人旅行者は、蔵前仁一さんが描いた<旅>をたどっているだけなのではないか。」という推薦文を寄せています。
まさにその通りだと思います。

私の旅のスタイルも変わりました。
もうバックパックは使っていませんし、ドミトリーに泊まることもしません。
写真の機材もフィルムからデジタルになり、パソコンを持っていきます。
フライトも鉄道もバスもネットで時刻を調べ、ネットで予約できるのは予約してしまう。でも、この先も旅を続けて行くでしょう。
やはり「旅」が好きなんですね。

『あの日、僕は旅に出た』を読み、自分の旅を考えた日でした。

旅人のメール2013年05月16日 22時59分08秒

夏休み、冬休み、春休み、GWなど長期の休みが終わると、だいたい10人ぐらい見知らぬ方からメールをいただきます。
ホームページのトップからは私のメールアドレスはわからないようにしているのですが、皆さん見つけ出してメールをくださいます。

内容は
「ogawaさんの写真を見てカンボジアに行きました。良かったです。」
「モロッコに行ってきました。ogawaさんの写真が参考になりました。」
「インド良かったです。ogawaさんの写真の通りのインドでした。」
など、私のホームページを見て行ってきた方々のメッセージです。
とても嬉しいです。

 旅行記のコンテンツにはカウンターを仕込んでいますが、古い旅行記でも毎日数人の方が来てくださっています。
ほんとにありがたいことです。

こういうメールをいただくと、まだまだホームページを続けて行こうと思います。
今週末からは今回のタイ北部の旅行記スタートします。
また、見に来てください!

ホームページ「ゆ~らしあ大陸ほっつき歩き・・・」
の海外旅行記はこちらです。
http://www.ne.jp/asahi/travel/ogawa/menu.html

出石2013年03月10日 17時40分13秒

昨日までの陽気とは打って変わって冬に戻った今日、思い立って出石まで車を走らせました。
片道150km、約2時間で到着。

出石は初めてです。
辰鼓楼

大阪は曇っていましたが出石に到着すると雨。
それに気温は6度。

雨の城下町も悪くないと思い歩きだしました。
城趾から市内を見下ろすと、コンパクトにまとまった町であることがわかります。

出石城趾より

1時間程、町を散策して、お目当ての出石皿そばへ。
この小さな町で40軒以上の蕎麦屋があります。

出石皿そば

小分けにされた蕎麦に、そばつゆにたまご、とろろなどで食べます。
つゆは辛めで蕎麦も香りが高く、美味しくいただきました。

私が入った時は店はがらがらでしたが、出るときはほぼ満席。
100人ぐらいは入っていたでしょうか。
この寒いなか、観光客も多くきていて大きな駐車場も満杯です。
こんな人気のある観光地とは思いませんでした。

近くの城崎温泉でも寄って帰ろうと思いましたが、あまりにも雨風が強くなってきたので、そのまま大阪に戻ってきました。

今度は晴れて暖かい日に行きましょう。