コートの回想2009年11月20日 22時15分41秒

この数日の冷え込みで、今日はコートを着て出勤しました。
例年、12月にならないと着ないので、ちょっと早いかな。
先日、買ったショートコートです。

駅のホーム。
昨日からコート着ている人が増えました。
ちょっと昔を思い出しました。

20数年前、サラリーマンになった年の最初の冬。
当時はダッフル・コートしか持っていなくてスーツの上に着ていったら上司から「仕事で着るコートはトレンチ・コートでないとだめだ」と言われビックリしました。

私もそれでダブルのトレンチ・コートを買いました。
たしかにステン・カラーのシングルかダブルのトレンチというのが大半の勤め人が着ていて、スーツにショート・コートを着ている人なんてほとんど見なかったなぁ。

まぁ、上司には一言言いたかったですけどね。
「トレンチ・コートもダッフル・コートももとは同じ軍服じゃないか。陸軍か海軍の違いだけやん。」

当時はトレンチを着るのがとても嫌でした。
なんかサラリーマンの制服の押し付けみたいで。
だからダッフル・コートを着ていってましたね。

でも、時代は変わって今はショートコート着ている人が圧倒的ですね。
私もダブルのトレンチ、ダッフルとショートコートを持っていますが、ほとんどショートコートとダッフルしか着ないですもの。
トレンチは昨冬は一度も袖を通しませんでした。

今朝の駅のホーム。
ステンカラーのコートか着ている人は年配のかたばかりでした。
それを見ていると、ダブルのトレンチを上手く着れば逆にカッコいいかなと。
私のトレンチコートは、20年前新婚旅行でロンドンのアクア・スキュータムで買った、正真正銘のトラッドです。
この冬はトレンチ・コートも着てみましょう。

嵯峨野の紅葉2009年11月23日 17時05分53秒

朝、6時30分に起きると天気は曇り。
京都に紅葉を撮りに行く予定にしていましたが、ちょっと天気待ち。
8時前になっても晴れる気配がない。
しかたがない行きますか。

高槻駅に向かう途中、どこで撮影するか考えました。
時間的に人ごみの中に突っ込むことになるのでポイントを絞っていきますか。
電車と徒歩で行けるところ。
そうなると東山か嵯峨野、東福寺あたり。
実は昨年行きそびれたのが嵯峨野の宝厳院。

ここの庭の紅葉が素晴らしいと聞いていたのだが、なんと今年、嵯峨野の紅葉観光のメインビジュアルになってしまっている。
う~ん、人が行くなぁ、昨年行っておくべきだったかな。

嵯峨野だと着くのが9時すぎか。
昼までが勝負、それ以降となると歩くのもままならなくなるので、行き先は二尊院と宝厳院の二箇所のみとしたピンポイント撮影。
それ以外は行かないこととした。

あいにく天気は雲り。
日ごろの行いのせいか。

二尊院に到着
二尊院

二尊院2

二尊院3
色づきはそこそこ。
二尊院4

今年の紅葉は一斉にという感じではないなぁ。

さて二尊院を後にして宝厳院へ。
10時すぎ、そろそろ人が多くなってきて歩くのも一苦労。

宝厳院1
宝厳院、庭が見事。

宝厳院2

テレビ局の中継も入っていました。

宝厳院3

11時過ぎタイムアップ。
もう引き上げましょう。

宝厳院4

人が多すぎます。

晴れ

で、帰る時になって晴れましたとさ・・・チャンチャン


定期忘れた・・・他3編2009年11月24日 21時14分19秒

今朝、駅に着き改札を通ろうとスーツの内ポケットに手を入れたら定期がない!
昨日着ていたGジャンの内ポケットに入れたままだ、と気がついた時ははすでに遅し。
切符を買って通勤。
電車・バス代合わせて1,400円也。
いつもの小物入れから財布や時計とか出した時になぜ気が付かなかったのだろう?
使わなくてよい金を使うことになってしまった・・・トホホ

「地球の歩き方」の歩き方

今、読んでいる本、「地球の歩き方」の歩き方(新潮社)。
地球の歩き方が創刊されるまでの関係者4人に100時間あまりのインタビューを行って書かれた本。
まだ第一章だけですが、刊行前の前段。
DST(ダイヤモンド・スチューデント・ツアー)で自由旅行のできたいきさつや三菱銀行で旅行のローンを組む話など、私も利用したので「なるほど」と思いつつ読んでいます。
これから、いよいよ地球の歩き方創刊の章になっていきます。
読了しましたら、ちゃんと書評書きますね。

ボジョレーヌーボー
昨晩、ボジョレー・ヌーボー飲みました。
今年の出来はとても良いとのこと。
たしかに濃厚なぶどうジュースという感じですが、新酒なので軽い飲み口です。
バブル全盛の頃は、ヴィラージュで3,500円以上していたのに、今は2,000円。
ペットボトルも出ているしコチラは800円とか、ボジョレーって気楽に飲むワインだから、ここらあたり妥当じゃないでしょうか。

私の使っているASAHIネットのblog。
今月、やっとエディターが使えるようになりました、これで文章の間に写真をいれることやリンクを貼ることが簡単になりました。
昨日の日記で試してみました。
http://eurasia-walk.asablo.jp/blog/2009/11/23/4714968
今まで写真は1枚だけで、多数を挿入しようと思うと、写真を別のサーバーにアップロードしてタグを切ってテキストを書くというblogとは思えない面倒な手順が必要でした。
2005年6月にスタートして2年ぐらいはなにも改善されなかったのに、ここ2年ほどは結構改善されてきました。
しかし、他のプロバイダーと同じ程度の機能になるまで4年半ですか・・・
これからも使いやすくなるようたのんます。

空3つ2009年11月26日 22時18分56秒

毎日、6時15分起きです。
最近は、日の出が遅くなり着替えてコーヒーを飲んでいると陽が登ります。
そういう写真を2カット。
11月18日の空
11月18日の空

11月19日の空
11月19日の空

ピーカンの空より、雲がかかって、その隙間から上がってくる日の出のほうが印象的です。

もう一枚は11月21日の日没。
大宰府で撮った空です。

11月21日の空


「地球の歩き方」の歩き方、という本2009年11月29日 16時32分21秒


「地球の歩き方」の歩き方

「地球の歩き方」の歩き方(山口さやか・山口誠 共著 新潮社)という本が出版された。
これは「地球の歩き方」創刊30周年を記念して創刊当時のメンバー4氏(安松清、西川敏晴、藤田昭雄、後藤勇)と関係者に100時間以上のインタビューをもとに書かれた、「地球の歩き方」のクロニクルである。

私が「地球の歩き方」とうガイドブックを知ったのは1984年の中国である。一緒に行ったメンバーの一人が持っていて、私の持っていたガイドブックよりはるかに旅の目的に合っていた。そして、その中国旅行で使ったツアーがDST(ダイヤモンド・スチューデント・ツアー)であった。
以来25年、海外旅行には必ずこのガイドブックを持っていってる。

長年、使ってきた疑問など関係者のインタビューで明らかになっていく過程は読んでいてとても面白い。
それと過剰な感情移入や自慢話などがなく、どちらかといえば淡々と書かれているので、地球の歩き方の30年の変遷がとてもよくわかる構成となっている。
地球の歩き方の創刊は1979年、この時、「ヨーロッパ編」と「アメリカ編」の2冊が発売された。
創刊までの経緯が、ちょっと驚く。

1972年、空前の好景気の中ダイヤモンド社の就職事業として企業内定学生を他企業にいかないようにするために海外研修旅行をおこなっていた。その研修をJTB(当時は日本交通公社)と連携して
当時としては割安で、イギリスで語学研修を実施していた。また学生が卒業後ローンで払えるよう三菱銀行と提携して便宜を図っていた。
今の時代と違って、経費も格段に高かったしパスポート取るノウハウも個人は知らなかった時代である。
それがダイヤモンド・スチューデント友の会・・・つまりDSTの前身である。
1973年、安松氏が配属され、氏はヨーロッパの長期旅の経験から「自由旅行」の企画を思いつく。
当時は海外に行く人は少数だったので語学研修に行くフライトの空いている席に研修と同じ日程でフライトと到着日のオリエンテーションと帰国前日のために宿を1泊ずつセットしたツアーをつくりだした。
つまり安松氏と一緒にロンドンへ飛び、自由旅行の学生達に着いた日に現地でオリエンテーションを行い、30日後に同じホテルに戻ってきて確認して一緒に帰国するという形式。当時、自由旅行に対応した日本語のガイドブックなど無い時代だったので、そういうオリエンテーションが必要であった。

これが私も中国旅行で利用したDSTのフライトと到着前後のホテルが付いているツアーの原形はこれだったのか、今になって納得したのである。
そして、その参加者の感想をまとめた小冊子を次のツアーの説明会などで使った、これが地球の歩き方の原点である。
それを安松氏がヨーロッパ編、西川氏がアメリカ編を担当して1979年に「地球の歩き方」が創刊された。
なぜ黄色い表紙、青い小口、そして顔なしの表紙デザインになったのかがすべて明らかになっていく。
また新しい国のガイドブックの制作方法や改訂版の作成の背景も記述されている。

1980年代からバブル時代まで続いた空前の卒業旅行ブームを背景に刊行点数を増やし、湾岸戦争、9.11からSARSから猿岩石まで、時代に合わせての変化、利用者の変化による編集方針の変化など「なるほど、こういう理由で変わったのか。」と頷ける。
1990年頃に発生し当時明治大の教授、栗本慎一郎や大手雑誌による「地球の歩き方バッシング」や、外務省から在外日本大使館にくるトラブルで地球の歩き方を持っている若者が非常に多いというクレームにいかに対応していったのか。
なぜ過保護なくらいの情報量を掲載しているのか、今まで「地球の歩き方」に対して感じていた疑問が解けていく。

地球の歩き方の30年は、日本人の海外旅行スタイルの形を決めたというか、それに合わせて変化してきた30年と言える。
それを認識させてくれる本である。

後半にこのような記述がある。
”「地球の歩き方」や「AB-ROAD」が広まった80年代半ばに20代だった世代には、元気な人が多くて、その人たちはずっとコアな海外旅行の愛好家で、今も私達の良き読者が多いです。。40代後半から50代になった彼らは、いまでも根強いファンとして私達を支え、また個人旅行を引っ張ってくれる重要な層です。”
・・・これって、私もその一人やん。

「地球の歩き方」の歩き方

写真はこの夏利用したポルトガル編と右は1989年、韓国で発売されていた「地球の歩き方・日本編」。
韓国版を見ていると当時の編集や紙質やレイアウトを思い出せてくれる。
今は表紙にコピーなくなったけど、以前は表紙にコピーがあったことを覚えてます?
旅に出たくなるコピーや、その国のイメージを表している数行のコピー。

例えばヨーロッパ編

ヨーロッパを1ヶ月以上の期間
1日3,000円以内で
ホテルなどの予約なしで
鉄道を使って
旅する人のための徹底ガイド

この本の作り手のコンセプトが明快に出てます。

若者が海外を旅行しなくなった時代、次はどのような方向に向かうのか、私はもうしばらく「地球の歩き方」と付き合いましょうか。