天才がつくるボストンの音楽 ― 2006年06月17日 09時17分06秒

ボストン(Boston)、1971年アメリカ東海岸ボストンで結成されました。メンバーはトム・シェルツ(g,key)、バリー・ゴードリュー(g)、ブラッド・デルプ(vo.g)、フラン・シーハン(b)、シブ・ハッシャンン(ds)の5人です。
リーダーのトムはマサチューセッツ工科大学(MIT)で博士号をとるエンジニアでもあります。ボストンの音楽は彼が文字通り作っています。
彼の個人スタジオで、エフェクターなどを駆使して厚みのある音楽となっています。
1976年、トム・シェルツが1年がかりでスタジオで作ったデモ・テープ・・・それが第1作「幻想飛行(Boston)」でした。
発売と同時に新人としては異例のビルボードアルバムチャートの2位を取り、アメリカ国内だけでも1,500万枚以上売ったとされています。
シングルカット「宇宙の彼方へ(More Than a Feeling)」の印象的なイントロは一発で引き込まれました。
1978年セカンドアルバム「ドント・ルック・バック(Don't Look Back)」をリリース。こちらも発売と同時に1位を取りました。
複雑な音、抜けるギターとボーカル・・・アメリカン・プログレッシブ・ロックと呼ばれてました。
また渋谷陽一など一部音楽評論家からは「産業ロック」と、ロック魂の無い商業音楽という言い方をされていました。
69年のウッド・ストックの後、70年代は新しいロックが生まれてきました、新しいロックを批判する人たちもFMで聞きました。
くわず嫌いでの評価をしないというのは、当時、釈然としませんでしたね。
そして80年代に入ってくるとパンクロックという過激でアナーキーな音楽が生まれました。
1979年、日本公演、大阪は大阪府立体育館でした。
私も行きましたよ。体育館という場所のため音響は悪かったですね、完璧主義者のトムからすると頭を抱えたかと思います。
でも、私は楽しみましたね、途中ケーブルが抜けたのかベースの音が消え、スカスカの「ドント・ルック・バック」はご愛嬌というとこでしたでしょうか。
1979年といえば大学浪人中じゃないか・・・受験生が何をしてたんだ(苦笑)
この2作の後、パタッと活動が止まります。
当時は「儲かりすぎて、やる気が無くなったのでなはいか」とまことしなやかに噂をしていましたが、第3作目がトムの完璧主義のため制作が進まず、CBSから契約違反であると訴訟を起こされていました。また自身でアンプなどをつくり会社を起こすなどしていたようです。
第3作「サード・ステージ(Third Stage)」がリリースされたのは1986年。
8年という日が流れていました。よもやボストンの新作が出るとは思っていなかったので嬉しいやら驚いたやら。
トムとブラッドの2人だけになっていたのですが、音は全く変わっていませんでした。
世界の私と同じことを考えてボストン・ファンが買いに走ったのか、このアルバムも全米1位になりました。シングルの「アマンダ(Amannda)」も全米1位に。
余談ですが、車の中で妻にプロポーズした時、たまたまですがバックに流れていたのは「アマンダ」でした。
たまにBOSTONを聴いていて、この曲がかかると、妻は「プロポーズの時の曲、覚えてる?」と言います・・・ヘイヘイちゃんと覚えてますよ。
次は94年に「ウォーク・オン(Walk On)」、97年に「グレイテスト・ヒット(Greatest Hits)、2002年に「コーポレイト・アメリカ(Corporate America)」と8年間隔でリリースどれもヒットさせてしまうのが天才のトムの面目躍如。
根気良く付き合う私のようなファンもファンだが、変わらないトムの音楽が好きなんだなぁ。
ボストン次の新作は2010年か・・・
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