「インドのみどりさん」という旅人伝説2006年12月19日 21時14分52秒

ドミトリー

昨日、別のサイトで「インドのみどりさん」の話題がでました。
なつかしいキャラクターなので、今日はこの話題を提供したいと思います。

「インドのみどりさん」というは「カラダを売って、そのお金でインドを長期間旅している日本人女性」のことです。

1980年代に入ると「地球の歩き方」も創刊され、日本政府は「テンミリオン計画」(日本から海外旅行者を年間1000万人にするという計画。当時の日本政府で唯一目標を達成した政策と言われています。)などぶち上げて、海外個人旅行が特別なものでなく一般的なものなってきました。
その中で格安航空券を使って可能な限り低予算で長期間旅をする旅行者、バックパッカーというスタイルも市民権を得てきました。

そんなバックパッカーの行き先の一つがインドでした。
なけなしの予算でインドにたどり着き、日本人の溜まり場の安宿に沈没して旅をする。
金は無いが時間だけは売るぐらいある旅行者たちが毎夜集まってする話は、どうやって安く旅をするか、交換率の良い両替屋という話からマリファナの入手のしかた、女の買い方までさまざまでした。

その彼らにとって会いたくても会えないが日本人の若い女性。
彼らが泊まるような安宿に一人旅で泊まる女性など無きに等しいですし、噂話か作り話が一つの形となったのが「インドのみどりさん」です。

この話が出ると、話の輪にいる男から、かならず「そーいえば、オレがバラナシに着いた日に、ミドリさんは前の日に男と寝てブッダガヤに行った、という噂を聞いた」とか
「オレが宿に着いた時、髪の長い日本人の女が身なりの良い男と車に乗っているのを見た。隣にいるヤツに聞いたら、みどりさんらしい。」など、まことしなやかに話すのがいました。
でも本物のみどりさんと会ったという人はだれ一人いませんでした。

私はこの話はバンコクの安宿でインド帰りの旅行者から聞きました。トルコでも旅行者から聞きました。中国では中国版「みどりさん」の話も聞きました。
下川裕治氏の著書でも、この話がありました。
名前も場所も変わっても「カラダを売って金をかせいで旅を続ける」というはそのままでした。

みどりさんは、何年にもわたって歳を取らずビザの有効期限も関係なしにカラダを売りながら旅をしていたのでしょう。
私なりに解釈すると、つまり当時インドを旅しているビンボー旅行者にとって欲しいものを具象化した女性かなと思います。

若い日本人女性 → 会いたくてもいない。
              日本語で女性と話をしたい。
カラダを売る  → どんな手段でもいいからお金がほしい。
            日本人女性とセックスしたい。
旅をする    → ずっと旅をしていたい。

おそらく、そういう願いが話となりいろんな枝葉もついて「旅人伝説」となったのでしょう。
これ以外にも「とんでもない迷惑な旅行者の話」なども国を超えて聞いたことありました。こちらは実在の人物もいたようです。

そして、このような「旅人伝説」は90年代半ばでパタッと聞かなくなりました。
私がドミトリーに泊まらなくなり旅行者と話をしなくなったのもありますが、インターネットのが普及してきたのに伴い、この手の話は消えていったような気がします。

90年代半ばまで、基本的な情報はガイドブック、だいたい1年以上前の情報とか、現地取材もろくにしていないのもあったりして・・・店が無くなっている、地図の場所に行ったらホテルが無い、料金が変わっているなんていうのは当たり前、そのため正確な情報をつかもうと思うと現地で口コミで入手するのが一番という旅のスタイルでした。
国によっては電話もつながらない、つながると話のネタになったぐらいでした。

PCの前に座っているあなた、今、旅の予約をしようと思ったらどうされますか?
航空会社や旅行代理店サイトからネットでほとんど完結できますよね
航空券や現地交通機関の乗車券、宿泊予約からイベント予約までできてしまい、現地情報もネットでほとんど検索できほぼ正確な情報を入手できてしまいます。
旅先でも主要な街にはネットカフェがあり、メールのやり取りできて情報交換ができます。

私も以前は切符を買うのに一日かけたとか、誤情報に振り回されたことは数しれず。
それを思うと便利になりました。
これだけ情報伝達が正確になってしまうと、このような旅人伝説が出る余地がないでしょうね。
当時の旅人にとってノスタルジーを感じさせる思い出話の一つですね。

コメント

_ 三谷眞紀 ― 2006年12月19日 21時36分17秒

トップの写真といい、懐かしさあふれる話です。
地球は小さくなり、安全にもなり、でもちょっとおもしろみも減ったような。
さらなる僻地へ行けば、まだまだ苦労もできるんでしょうけど……苦労自慢というのも、ねえ。もうカッコよくはないですね。
なにをしに旅へ出るか、ですね。

_ あはず ― 2006年12月19日 23時49分52秒

10年ほど前、バックパッカーだった時代「いかりや長介が亡くなった」という噂を、そこかしこで耳にしました。

それこそ今のようにネットでどこでも日本のニュースが取れるわけではなかったからでしょうね。

「ダルマ」というのも一つの典型的なそういうネタだったように記憶しています。曰く、見せ物小屋に行ったら、手足を切り取られた女性がいた。どうもずっと見つめられていて、あとで裏で会ったら、なんとだまされてそういう境遇に陥った日本人女性で、涙ながらに来歴を語った、というような。

でも、今ならこういうのも、mixiのチェーン化(?)だとかになっているのかもしれません。

媒体はそれぞれでも、意外に人がやることって、変わらないな、と。

_ のこのこ ― 2006年12月20日 00時53分17秒

あああ。みどりさん話だ・・・。

そういやいかりや長介死亡説と似たようなもので「安達祐実ヘアヌード」ってのもありましたね。
まーどうでもいいことですが。

その頃の伝説のみどりさんは伝説でいられたけれど、
その頃と今との違いは、実際にみどりさんみたいなことをして旅をする、貧乏でもなんでもないふつーの女の子がえらいこと増えてしまったことですな。

15年前ぐらいまでは女性のバックパッカーといえば、よほど長期で社会復帰する気の無い人を除けば
「勇気があるねぇ、行動力があるねぇ。」
と就職活動などでも結構評価されていたのですが、
今ではすっかり「会社休みまくりで社会性無いヤツ」「アフリカ行って黒人とやってんじゃねーの?」と言われるようになってしまいました。(涙)

そうです。ネットが無い時代の自由旅行と今の自由旅行では全く変わってしまいました。
昔はガイドブックが無い国が当たり前でした。
日本人宿に大勢の旅人達が加筆していった手書きのガイドブックがコピーにコピーを繰り返してひそかに流通していました。 私もそんな手書きのガイドブックを頼りに旅をして、その恩返しに私のサイトを立ち上げたのです。
今は・・・情報が無い場所がないのです。
私みたいにネット中探しても情報がない場所に行きたがる人が増えたせいです。
・・・ああ、私も旅をつまんなくしてしまった罪人の一人ですかね。

_ ぴよ ― 2006年12月20日 08時19分38秒

ぴよが海外に行くようになったのは、ネットこそしていなくても
そこそこ情報が整備されてからだったので、そういう伝説は
聞いた事がありませんでした。

のこのこさんが書いてらっしゃるとーり、
今は伝説じゃなくて「男狩り」ツアーをする日本人女性が
冗談抜きでかなりの数いるという事ですね。
しかもみどりさんは体を「売って」旅を続けていたようですが
コチラは体を「買って」旅を続けるという手合い(苦笑)
ぴよが旅行をするようになって聞いた話は「みどりさん」じゃなくて
「イエローキャブ」と呼ばれる女の子の話ばかりでした。

_ ogawa ― 2006年12月20日 21時26分53秒

>眞紀さん
今は旅の情報の入手の仕方が変わってしまったので、
昔のスタイルを懐かしんでも、それは詮ないことですよね。
情報が行き渡ったけど、旅の楽しみは変わってほしくないよね。

>あはずくん
「ダルマ」の話も聞きましたよ。
あはずくんも知っているのですね。
これも旅人伝説の一つですよね、「いかりや」は噂だったけど
こちらは伝説ですものね・・・でもネットだと変わらないけどリアルすぎて面白くないなぁ。

>のこのこさん
ネタをありがとうございます。
伝説が口伝えで安宿で語られていた時代・・・つまり、
深夜特急の時代はもうありませんよね。
アナログかもしれないけど、そんな旅の時代は終わりましたね。
情報を入手できる前提の旅になってきましたので、旅のスタイルが変わりました。
のこのこさんにとって、一人旅を楽しんでいた時から、
旦那さんとご子息を連れての旅のスタイルの変化をいかに楽しむかだと思います。
イエローキャブの話はぴよさんのところで回答しますね。

>ぴよ姉
「イエローキャブ」・・・なつかしい言葉だなぁ。
家田荘子の造語ですね。
ニューヨークのタクシーの愛称「イエローキャブ」つまり「誰でも乗せる」の意味だものね。
バリ島とかアジアのビーチリゾートに出没してますね。
それは「旅」じゃないですね・・・ちょっと悲しいなぁ。



_ K◎ ― 2006年12月21日 01時13分15秒

「みどりさん」話しは あたしも聞いたことがあります
あたしが聞いた話では みどりさんは 両親が莫大な借金をして雲隠れ
借金取りと保証人になった親族に追い駆けられ
逃げるように外国に行き そこで恋に落ちます
が、甘い一夜を過ごした朝 相手の姿はなく 枕元にお金が …
ショックの余り 自殺を考えるが死に切れず
寂しさを埋めるように 旅人と肌を重ね 僅かなお金を貰い旅を続けます
長い度の末 イギリスに辿り着き 親切な酒場の主人に出逢って
店の2階に宿を取らせてもらうが レイプされ 更に監禁されて客を取らされるようになる
で、みどりさんは これほどの屈辱を受けても 人間は生きているもんだと 考え直し
逃げ出して日本に帰り 一旗あげると、云うもんでした。

ネットの普及で 旅のスタイルは 大きく変わったと思います
サイトを覗いても 皆さん 情報を利用して 賢く上手く旅されているので感心します
自分はお金も時間も そこそこしかないので そこそこの旅しか出来ません
必然的に安宿や移動費を抑える旅になりますが
その国の人々の生活が垣間見れるような旅が好きです
旅の目的やスタイルは 人それぞれで いいと思いますが
自分的には のっかちゃう のっけちゃう的な旅はNGです
それと 苦労を美徳とする旅人も苦手です
安宿に泊まると 時々 どこそこまで 下等クラスの列車で何処まで行ったとか、色々自慢されますが
そもそも その国々では下等クラスだって 当たり前の事であって
だからなに?って、云いたくなることも多々とあります
まぁ それも それぞれの価値観と自由であって 良い悪いとは云えませんが!(苦笑)
長くなってしまいましたねぇ … ごめんなさい。

_ ogawa ― 2006年12月21日 21時27分28秒

>K◎さん
K◎さんの「インドのみどりさん」バージョン初めて
知りました・・・面白いなぁ。
旅人の妄想がここまでストーリーを作ってしまうのですね。

ネット普及以降は明らかに旅のスタイルが変わった
と思います。
私も「苦労」を全面に押し出す旅は苦手でした。
お金をばらまく旅が良いとは思わないけど、ビンボー自慢
も苦手です。
自分にとって楽しい旅が一番かな。

_ (未記入) ― 2010年01月25日 13時39分33秒

ミドリさんに会いました

昔サールナートの日本寺で会いました。
下の話は分かりませんが、十分魅力的な人でした。単なる淫乱な日本人女性は沢山いますが、
やはり伝説になるには、それなりの魅力が必要でしょう。私があったミドリさんは美人で話も面白く、魅力的なひとでした。ミドリさん伝説は、複数のモデルと勝手に噂話が独り歩きした、興味本位のでたらめな話です。

_ (未記入) ― 2010年01月25日 21時58分46秒

超美人もインド・バックパッカーの旅してます

何故知ってるかと言うと、僕の東京のキャバクラ・ホステスが、何回目かのインド旅に出ます。
相当の超美人、これからインド行く人楽しみ。けれど、仕事で毎日くどかれまくっているので、まあ相手にされないどしょう(笑)。それより、何故東京でかなり稼いでいる女性がバックパッキングの旅すのか、そこに興味あります。

_ (未記入) ― 2010年01月25日 22時51分15秒

若者よ旅に出ろ! と言いたいけど、この不況で今は一度正社員辞めたら社会復帰難しいかも。会社近くの、婚活神社は正月大盛況でした。不況のなかで、正社員になる道より永久就職で成功したい願望でしょうか?
それより、ミドリさんは偉かった。悪評が勝手に一人歩きしても、自分なりの旅をかなりの歳までしてました。彼女から聞くインドの旅は、ある川の上流のインド奥地での、長期の滞在や、普通の男より極めたインドの旅をしていたと感じました。では、前のミドリさん話ですが、何故ミドリさんと確信したかと言うと、話をしている時は名前を交換することも無く、ただ楽しく日本寺で話していだけですが、寺の子坊主が大きな声で、「ミドリさん」と呼んでしまったからです。その後、バラナシに戻り、日本人宿のおばさんの話と照合して、ミドリさんと僕なり思った次第です。でも、僕のミドリさんは素敵な人でした。

_ (未記入) ― 2010年01月25日 23時34分12秒

君ならどうする?

長期の一人旅は孤独だよ。だから、日本語で話しをする事に飢えるし、まして美人の日本人女性だったら嬉しいよね。
今は、還暦まじかの今も長期旅行を続けてるオヤジですが、インドでミドリさんではありませんが、超美人にあいました。なんとか、食事を二人だけでしたのですが、そこで超美人の女性から、宿の日本語使いのインド主人とセックスしちゃったと打ち明けられられました。まったく、突然なので、?でしたが、初めての旅では異性が魅力的に思えてします自分の過去の経験から、それもありかなと理解しました。けれど、その後の彼女経験には考えさせられました。その後、また別な土地で、土産店の日本語使いの男と出来てしまい、子供まで生んでしまったのです。本人は、結婚するつもりでいたようですが、単に遊ばれただけです。その後、何年かして、日本人女学生にその話ををしたら、いきなりその土産店主人の名刺が出てきて、この男かと真剣に聞かれ、そうだと言うと、うちひしがれていました。まあ、その子も、同様な経験をしたのでしょうか?

_ インド ― 2010年06月12日 21時32分11秒

20年位前ですけど、バラナシでみどりさんに会った事がありますよ。
当時は頭を丸めてましたが、気品のある方で噂で語られてるような印象は全くありませんでした。

_ インド ― 2010年06月12日 21時35分29秒

本人には失礼かと思いますが、決して美人ではありません。
年齢も優に40歳を回ってましたので、今は60歳以上だと思います。

_ ogawa ― 2010年06月13日 17時40分07秒

>インドさん
古いblogへの記事のコメントありがとうございます。
インドのみどりさん、って旅行者が作り出した都市伝説のようなものだと思っていました。
実在していたのですか?
う~ん。

_ インド話が懐かしいオヤジ ― 2010年08月23日 00時27分51秒

ミドリさんが実在したのではなく、噂が一人歩きした、孤独な日本人旅行者の願望と複数の実話が合体した、旅人伝説です。でも、モデルはいました。          ミドリさん!、伝説になったのは、貴方がそれだけ魅力的だったからです。ミドリさんが読んでくれる事を祈り、コメントします

_ ogawa ― 2010年08月23日 21時08分53秒

>インドが懐かしいオヤジさん
コメントありがとうございます。
私が知ったのも「孤独な日本人旅行者の願望」という旅人伝説でした。
モデルがいたのですか・・・やっぱり。
もし検索してミドリさんが見てコメントをくれたら嬉しいですね。

_ インド話が懐かしいオヤジの提案 ― 2010年08月23日 21時48分11秒

そろそろ、「ミドリさん伝説」の本質が出てきた気がします。でも、それで終わりでは、面白くないよね。このブログの主催者が見抜いた通り、伝説にはその奥の本質があ気がします。ここで確認ですが、1.日本人でも男と女では、インドで体験する実態が全く違う。2.「ミドリさん伝説」でみるように、旅人の願望・・と言うより、日本人男の願望の具現が「ミドリさん」伝説だとしたら、インドの聖地に行くなどと言った、アマチョロイ幻想をすっぱり切り、そろそろ、インド旅の幻想への反省、そして簡単に煩悩を捨てられない人への議論に深めませんか?

_ ogawa ― 2010年08月23日 23時03分39秒

>インド話が懐かしいオヤジさん
即、コメントありがとうございます。
あえて親しみをこめてオヤジさんと言わせていただきます。
私もオヤジですけど。

たぶん40歳以上の人なら,この話にのってくれると思いますが、切符一枚買うために一日費やしたなんて経験はざらでしたから。
ミドリさん伝説も実在したであろう女性に、乏しい情報が加味されてできあがった都市伝説だと思っています。
20代の男でインドを旅していて「やれる日本人の女」というのは一種幻想だったと思います。

今、インドに行っている若者には、残念ながら響かない話です。
インドも中国もとても旅しやすくなっています、ネットですべて予約できてしまいますし。
そもそも長期海外旅行をする若者がとても少なくなりました。
彼らにとってインドも旅行先選択のワン・オブ・ゼムに過ぎません。
そして、私たちが「若い頃には」という話はほとんど通じません。

私たちのような40歳以上でインドに旅した人たちにとって「そうそう、そんな話あったよね。」と懐かしむ話題だと思っています。
総括するにしても、そういう旅を卒業されている人たちは懐かしむかもしれませんが、正直オヤジさんが期待する議論までいかないと思います。

懐かしむには良いかもしれませんが、今を議論するには難しい話題だと思います。

_ オヤジです ― 2010年09月06日 20時07分31秒

ごめんなさい!
酒が入り、テンションが上がったようです(笑)。
では、次から酒の話に加わって良いですか?

_ ogawa ― 2010年09月06日 20時57分45秒

>オヤジさん

>酒が入り、テンションが上がったようです(笑)。
>では、次から酒の話に加わって良いですか?

大歓迎です。
酒の話でも旅の話でも。
お待ちしています。

_ 酒好きなオヤジです ― 2010年09月07日 20時20分53秒

旅先の酒にまつわる思い出は沢山ありますが、懐かしいのは旅人との酒宴です。夜、宿の一室に集まり体験談を酒を呑みながらを語るのは楽しいですね。でも、昨今バックパッカーも減り、そのような体験が最近無いのが寂しいです。今年も中国の西安の常宿に滞在しましたが、10年前には若者を集め、酒宴を毎夜開いたものですが、今年は私以外日本人はいませんでした。
西安から戻ったその後の話ですが、10年前ここで会った当時青年の一人からメールが来て、浅草で会う事になりました。彼が各国で出合った日本人旅人どうしがその後友人となり、今回もその集まりでした。彼等はもう旅にでるのは厳しいが、今も色々とその友人達と語らっているようです。

_ ogawa ― 2010年09月07日 22時29分07秒

>酒好きなオヤジさん
私もそうですが(^^;;
ほんとに今の学生(若者)は酒は飲まない、旅には出なくなりましたよね。
張り合いのないことこのうえなしです。
オヤジさんや私のような世代のほうが今でも海外に出ています。
でも、美味い酒のみたいですよね。

_ 酒好きなオヤジです ― 2010年09月08日 23時59分38秒

美味しい酒って何でしょうね?
仲間がいる酒宴も楽しいが、一人でいる旅先の酒も、至福の一時を感じる瞬間があります。
トルコのアンカラの安宿の窓から、行き交う人々を眺めながら飲んだトルコの酒(水を入れると白く濁る酒)も至福の一時でした。
また、今年、中国の紹興で一人、誰もいない遅い午後のレストランで飲んだ紹興酒も印象的。酒の美味さは、酒の質、それに合うつまみも大切ですが、旅先では、その時の自分の気分と酒との出会いですね。

_ ogawa ― 2010年09月11日 08時49分47秒

>酒好きなオヤジさん
そうですね、私にとって旅と酒は切り離せないものです。
10数年前、パリの安宿で飲んだミュスカデは忘れられないですし、スコットランドの蒸留所巡りをしながらのんだシングルモルト、バンコクで氷を入れたシンハなど印象に残っている酒は多々あります。
だからイスラム圏にいくとちょっと辛いです・・・ハイ

_ 酒好きなオヤジです ― 2010年09月11日 15時50分24秒

ogawaさん、ゴメンなさい。根がバックパッカー上がりなので、貧乏根性が身につき、酒の質と味を問わない旅先の酒人生でした。
本来、このブログは「ミドリさん伝説」ですよね。では、今回、ミドリさんとの酒にまつわる話をします。
サールナートの日本寺に宿泊した時、たまたま寺の落成一周年の時で、上人からお誘いを受け、日本から来た尼さんが持参したシーバスリーガルがボンと置かれ、夢心地の夕食兼酒宴となりました。そこに、同席したいたのが、ミドリさんでした。上人は豪放磊落な方で、インドでは上級カーストから忌み嫌われる酒も人生の好物として愛されていた気がします。その、上人も今は去り、お弟子さんが寺を守っていると聞いています。
酒と日本寺の上人、そしてミドリさん、その時の出会いは、至福の一時でした。

_ ogawa ― 2010年09月17日 22時41分59秒

>酒好きなオヤジさん
サールナートの日本寺は、バックパッカーにとって有名な宿泊先(無料宿)でしたね。
ミドリさんがいたのですか?
都市伝説と思っていましたが実在したというか、ワン・オブ・ミドリさんだったのかもしれませんね。

_ 酒好きなオヤジです ― 2010年09月19日 11時57分42秒

インドの日本寺は無料ではありません。お布施です(笑)。確かに無料で宿泊出来るし、住職も何も言いませんが、オヤジだったら恥を知りなさい!私は街中の相場の倍を払っていました。仏跡の旅では、辺鄙な場所が多く、お世話になるしかない場所が多いし、ありがたい宿となりました。
確かに、私が日本寺で会ったミドリさんは、伝説モデルの一人です。

_ ogawa ― 2010年09月23日 18時54分48秒

>酒好きのオヤジさん
どーもすみません。
日本寺に泊まったことがありませんので。

_ オヤジです ― 2010年09月26日 10時56分00秒

インドの酒屋で酒を買うと、必ず新聞紙などで包み、見えないようにして渡します。また、ある日本寺に宿泊した時、ローカルの椰子の樹液で作った酒の持込を血相を変えて拒否されました。住職の個人的意見と言うより、田舎で寺を維持する責任ある住職としては、まわりのインド人有力者の目を考慮したからでしょう。それだけ、インドの上級カーストから嫌われる酒ですが、そこは建前で、酒好きなインド人の別な顔もあります。次回、その報告をします。

_ ogawa ― 2010年10月09日 23時21分09秒

>オヤジさん
しばらくレスをしなくて申し訳ありませんでした。
私の古い記事にコメントを寄せてくれたのは感謝いたしますが、そこをベースにインド人と酒の話を延々と続けても関心を持ってくれる人はほとんどいません。
このblog、コメント少ないと思われるかもしれませんが、1日2~300人ほどのビジターがいます。
私のメインサイトやSNSとの関わりで旅好きな人が多いですが、ほとんど反応しないことは、古い話に関心が無いことを表しています。

私も昔のインド人と酒の話をえんえんと続けられてもコメントのしようがありません。
だからレスを書きませんでした。
私の古い記事ではなく、おやじさんご自身ののblog、SNSやTwitterなどで、ご自身が発信されるほうがいいかと思います・・・いかがでしょうか?

_ オヤジです ― 2010年10月11日 21時31分42秒

OGAWAさん、ゴメンなさい。
そろそろ、オヤジは引き下がります。

_ Forever Young ― 2011年05月22日 22時34分23秒

子供の相手も疲れて、なんとなくネットを見ていたら、ここにたどり着きました。

みどりさんとは、89年にシルクロードのとある町で同宿することになりました。皆様の話や伝説の噂話と同一人物かは分かりませんが、多少の会話をしましたので、遠い記憶の中から書いてみたいと思います。

彼女の語った話がどこまで事実か分かりませんが、、誰かが書いた小説(エッセイ?)の様な女性ではなく、あまり幸せではなさそうであり、そんな過去が彼女を苦しめ続けている様な影があり、その結果であろう言動も多く、近寄りがたい雰囲気の女性でした。

彼女は、体の線の出る様な怪しげな服装で、インド、パキスタンの地で騒動を起こしながら、フンジェラブ峠を経て、その町にたどり着いていた様でした。またその町や安宿でも、日本人バックパッカー含め、多くの人とトラブルを引き起こしていました。
そう言えば、わざわざみどりさんを見るために、追っかけのようになっていた暇そうなバックパッカーもいました。

個人的なことになるのでこれ以上のことは書けませんが、安宿のドミトリーの中で、彼女が小さなラジカセで何度も聞いていたロッド・スチュアートの曲が今でも耳に残っています。

_ ogawa ― 2011年05月29日 13時28分12秒

>Forever Young さん
はじめまして、ようこそお越しくださいました。
レスが遅くなり申し訳ありませんでした。

みどりさんは実在していたのですか・・・私は、ブログでも書いてますように一種の旅人伝説と思っていました。
でも実在の人物がいても不思議ではないですね。

それにしてもForever Youngさんの、この短いコメントは80年代の旅を思い出せてくれました。
それに最後の2行がみどりさんの孤独を感じます。

どうもありがとうございました。

_ tamatebako ― 2020年05月05日 15時59分16秒

私は90年にブッタガヤで『みどりさん』に会ったことありますが、そんなに若い女性ではないですよ。
私が会った時には40歳くらいの小太りの女性で頭を丸めていました。その時はその人が『みどりさん』だとは知らずに会釈を交わしたくらいで会話らしい会話はしなかったんですか、翌日、別の日本人から「みどりさんがブッタガヤに来てたらしい」話を聞いて、「もしかして、頭を丸めてた女性のこと?」って訊いたら、その以前にも『みどりさん』にあったことがある人が「そうそう」とか言っていた。
80年代後半には『みどりさん』にあったことある人は沢山いましたよ。
『みどりさん』が売春しながら旅行しているってのも、眉唾ですよ。
『みどりさん』は京都で仲居さんとして働いていたんですよ。『みどりさん』が海外旅行を始めたのは30代になってからで、英語が堪能だったから日本人とは余り連まずヨーロピアンと一緒にいることが多かった。
そこから心無い日本人が『みどりさん』は外人に体を売りながら旅行を続けている噂を立てる連中がいて、誠しやかに騙り継がれて言ったんですよ。
『みどりさん』と直接話したことのある人は、みんな口を揃えたように聡明な女性だと語ってる。
今あるか分からないけど、バラナッシ―の《くみこハウス》の女将さんも『みどりさん』の知り合いですよ。
《くみこハウス》には泊まって居なかったけど、よく遊びに来ていたらしいから・・・

_ tamatebako ― 2020年05月05日 16時10分50秒

上の方のコメントに書かれていましたが、インドで宿屋の親父と喧嘩して追い出されたって話は本当かもしてません。
詳細は忘れましたが、そんな話を聞いたことがあります。
どなたかインドにいらっしゃるんでしたら、《くみこハウス》の女将さんに聞いてみてください。
※喧嘩して追い出されたのは《くみこハウス》ではありませんからね。念の為に、、、

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