光とともに-横谷宣写真展「黙想録」 ― 2009年01月25日 18時31分01秒
ギャラリーに一歩入ると足が止まった。
セピアトーンのモノクロ写真が並んでいる。なんとなくボヤッとした写真を一枚一枚見ていくと写真に写しこまれた光が語りはじめた。
横谷宣(よこたに せん)氏を知ったのは田中真知氏の著書「孤独な鳥はやさしくうたう」の中の「十年目の写真」というエッセイであった。
http://eurasia-walk.asablo.jp/blog/2008/07/20/3639568
田中氏はエジプトの安宿で横谷氏と知り合ったいきさつや独自の写真スタイルをシンプルかつ抑揚を抑えた文章で書かれていた。そのエッセイに横谷氏3点の写真が載せられていた。
それは中心だけピントがきて周辺が流れているボヤッとした写真。そうソフトフォーカスレンズやHOLGAで撮った写真と感じが似ているとでも言おうか、惜しむらくは本に印刷された写真ではそれ以上は感じ取ることができなかった。
田中氏が実際に見て感じ入った感情は、この印刷された写真ではわからないのだなと漠然と理解した。
そのため、他の横谷氏の写真を見てみたいと思ったが、横谷氏は商業ベースで仕事をされている方ではないらしく他でまったく見ることができなく、ネットの検索でもまったく当たらなくてお手上げであった。
それが昨年の夏のことであった。
1月、御茶ノ水のギャラリー・バウハウスで横谷氏の写真展が開催されていることを教えてもらった。1月16日には写真評論家の飯沢耕太郎氏と横谷氏のトークショーがあり、蔵前仁一氏や田中真知氏も来られてすばらしい一夜だったらしい。大阪に住んでいる私にとっては羨ましい限りである。
1月24日に東京へ行く用があったので時間を作って御茶ノ水に行った。11時ギャラリー開場と同時に入る。
L版から六つ切サイズぐらいまでのセピアカラーのモノクロ写真が額装されて並んでいる。最初の一枚をみた瞬間から、本に印刷されている写真とは別物であることがわかった。
「これが田中氏が引き込まれた写真なんだ。」
タイ、カンボディア、エジプト、インドで撮られた写真。
心象風景を具現化したものと言えばいいのか。今の何から何までシャープにピントが合う写真の対極、そして、印刷では絶対わからないトーン。
ピントの芯はちゃんと来ているがボヤッとしている、黒は締まっている、そして光が語っている。何度も水洗いされたのか繊維まで見えている印画紙に残されたセピアカラー。
カルバミド調色という今までまったく知らなかった焼付けの技法。
セピアカラーの焼付け現像は私もやったことがあるが、これはセピア現像ともまた違うやりかたで、最終的に黒の調子がでるまで放っておいて調子が出たら最後コーティングして作品に仕上げるというやり方である。
1枚の写真を完成させるのに半年か。
ギャラリーを1階から地下1階へ降りていく。そこには1階よりやや古い年代80年代~90年前半の写真がある。
イラン、シリア、スペインなどのヨーロッパの写真。1階の写真より、さらにトーンが柔らかい。
私は一枚の写真で足が止まった。
イランのスークで天井の隙間から光が入り道を照らしている。
それで理解した。
横谷氏は光を印画紙に封じ込めている。
木漏れ日、空、反射光・・・氏の写真に写しこまれている光は見るものに語りかけてくる。
心象風景の具現化と語りかける光。
それは印刷では感じ取ることのできない横谷氏の表現方法である。
1時間あまりなんども地下と1階を往復。
一人でも多くの人に見てもらいたい写真です。
横谷宣写真展「黙想録」
gallery bauhouse (JR・東京メトロ御茶ノ水 下車約6分)
2月28日まで開催中
横谷宣氏の写真展を教えてくれた三谷眞紀さんとあづま川さんに感謝します。
三谷眞紀さん
横谷宣写真展「黙想録」--置換への断念/共有する感懐
http://apakaba.exblog.jp/10544196/
あづま川さん
「横谷宣写真展」-心象のざわめき
http://www.kanochi.net/blog/archives/2009/01/19222054.php
セピアトーンのモノクロ写真が並んでいる。なんとなくボヤッとした写真を一枚一枚見ていくと写真に写しこまれた光が語りはじめた。
横谷宣(よこたに せん)氏を知ったのは田中真知氏の著書「孤独な鳥はやさしくうたう」の中の「十年目の写真」というエッセイであった。
http://eurasia-walk.asablo.jp/blog/2008/07/20/3639568
田中氏はエジプトの安宿で横谷氏と知り合ったいきさつや独自の写真スタイルをシンプルかつ抑揚を抑えた文章で書かれていた。そのエッセイに横谷氏3点の写真が載せられていた。
それは中心だけピントがきて周辺が流れているボヤッとした写真。そうソフトフォーカスレンズやHOLGAで撮った写真と感じが似ているとでも言おうか、惜しむらくは本に印刷された写真ではそれ以上は感じ取ることができなかった。
田中氏が実際に見て感じ入った感情は、この印刷された写真ではわからないのだなと漠然と理解した。
そのため、他の横谷氏の写真を見てみたいと思ったが、横谷氏は商業ベースで仕事をされている方ではないらしく他でまったく見ることができなく、ネットの検索でもまったく当たらなくてお手上げであった。
それが昨年の夏のことであった。
1月、御茶ノ水のギャラリー・バウハウスで横谷氏の写真展が開催されていることを教えてもらった。1月16日には写真評論家の飯沢耕太郎氏と横谷氏のトークショーがあり、蔵前仁一氏や田中真知氏も来られてすばらしい一夜だったらしい。大阪に住んでいる私にとっては羨ましい限りである。
1月24日に東京へ行く用があったので時間を作って御茶ノ水に行った。11時ギャラリー開場と同時に入る。
L版から六つ切サイズぐらいまでのセピアカラーのモノクロ写真が額装されて並んでいる。最初の一枚をみた瞬間から、本に印刷されている写真とは別物であることがわかった。
「これが田中氏が引き込まれた写真なんだ。」
タイ、カンボディア、エジプト、インドで撮られた写真。
心象風景を具現化したものと言えばいいのか。今の何から何までシャープにピントが合う写真の対極、そして、印刷では絶対わからないトーン。
ピントの芯はちゃんと来ているがボヤッとしている、黒は締まっている、そして光が語っている。何度も水洗いされたのか繊維まで見えている印画紙に残されたセピアカラー。
カルバミド調色という今までまったく知らなかった焼付けの技法。
セピアカラーの焼付け現像は私もやったことがあるが、これはセピア現像ともまた違うやりかたで、最終的に黒の調子がでるまで放っておいて調子が出たら最後コーティングして作品に仕上げるというやり方である。
1枚の写真を完成させるのに半年か。
ギャラリーを1階から地下1階へ降りていく。そこには1階よりやや古い年代80年代~90年前半の写真がある。
イラン、シリア、スペインなどのヨーロッパの写真。1階の写真より、さらにトーンが柔らかい。
私は一枚の写真で足が止まった。
イランのスークで天井の隙間から光が入り道を照らしている。
それで理解した。
横谷氏は光を印画紙に封じ込めている。
木漏れ日、空、反射光・・・氏の写真に写しこまれている光は見るものに語りかけてくる。
心象風景の具現化と語りかける光。
それは印刷では感じ取ることのできない横谷氏の表現方法である。
1時間あまりなんども地下と1階を往復。
一人でも多くの人に見てもらいたい写真です。
横谷宣写真展「黙想録」
gallery bauhouse (JR・東京メトロ御茶ノ水 下車約6分)
2月28日まで開催中
横谷宣氏の写真展を教えてくれた三谷眞紀さんとあづま川さんに感謝します。
三谷眞紀さん
横谷宣写真展「黙想録」--置換への断念/共有する感懐
http://apakaba.exblog.jp/10544196/
あづま川さん
「横谷宣写真展」-心象のざわめき
http://www.kanochi.net/blog/archives/2009/01/19222054.php
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