蔵前仁一氏『あの日、僕は旅に出た』と私の旅2013年07月21日 10時10分28秒


蔵前氏著書

先月、「旅行人」から一通のハガキが届きました。
そこには蔵前仁一氏の新刊が発売されるという内容でした。

その、蔵前仁一氏の新作『あの日、僕は旅に出た』(幻冬舎)を読みました。
蔵前氏の「旅」に出るきっかけから、本の出版、出版社「旅行人」を立ち上げ、そして自社出版雑誌『旅行人』の終焉まで、蔵前氏の大学卒業後から今に至るまでの自伝です。
30代以上で「旅」が好きな人にとっては、氏を知らない人はいない、と言えるほどの人です。

雑誌『旅行人』が2011年12月に休刊になった時、私は「『旅行人』の休刊と若者の旅離れ」というテーマでブログに書きました。
http://eurasia-walk.asablo.jp/blog/2011/12/06/6235700
『あの日、僕は旅に出た』という本の内容は、先に書いた蔵前氏の自伝ですが、もう一つは、この30年、若者の旅のスタイルの変遷という「日本の若者の旅行史」でもあります。


蔵前仁一氏は1986年『ゴーゴー・インド』(凱風社)というイラストと文章で構成された旅行記という、当時、あり得なかった体裁と内容でデビューしました。
実は、私は『ゴーゴー・インド』を知りませんでした。
同年、沢木耕太郎氏『深夜特急1・2』(新潮社)が出版され、すぐ買ったのですが、蔵前氏のことは寡聞にして知ることはありませんでした。

蔵前氏を知ったのは、1988年、『DIME』(小学館)の書評でした。
当時の『DIME』の書評は、コラムニストの山崎浩一氏が執筆し、時代を読んだ内容で好きでした。(この書評で江口まゆみ氏など初めて知った作家が多いです。)
その中で蔵前氏の『ゴーゴー・アジア』(凱風社)を紹介していました。
内容は、『ゴーゴー・インド』と人を食ったようなタイトルの旅行記を出版し、それはインドを哲学や社会学では無く、一人の旅行者として見た、いままでになかったスタイルの好著であった。その作者の蔵前仁一の2冊目の著書『ゴーゴー・アジア』が出版された。と記憶しています。

その書評を読み、すぐに『ゴーゴー・アジア』を買いに行きました。あまりにも面白いのでその日のうちに読んでしまい、翌日、『ゴーゴー・インド』を買いに行きました。
そのため、私の持っている『ゴーゴー・アジア』は1988年7月15日初版第1刷発行、『ゴーゴー・インド』は1988年7月30日初版第3刷発行となっています。
*現在『ゴーゴー・インド』は『新ゴーゴー・インド』となり「旅行人」から発売されています。

読んだ感想は「そうそう、こういうことあるよな」「こういう人に会ったな」など自分が旅で感じたことが記してあり親近感を感じるのと、一方で、社会人として働いていたので旅行できるのは夏休みや冬休みの最長10日程度しか取れないため、長期を旅する羨ましさが混ざったものでした。
『深夜特急』は沢木氏自身の青春史であり、マネができるものではないと感じていましたが、蔵前氏の旅は自分の旅と同次元にあり身近に感じたものでした。

そんなこと思い出しながら『あの日、僕は旅に出た』を読んでいました。
読後、ほんとに久しぶりに自分のホームページ「ゆ~らしあ大陸ほっつき歩き・・・」の海外旅行記57編全てを見ました。
http://www.ne.jp/asahi/travel/ogawa/menu.html
もちろん全ての旅行をアップしているわけではありませんが、1984年の中国旅行記から29年間の私の旅の記録です。
初期の頃は写真も少ないし、文章量も少ないですが、それでも、その旅で何があったかを鮮明に思い出すことができます。
旅先で会い、その時だけだった人、20年経っても交流のある人。
楽しかった事、騙された事、逮捕された事、いろんなことを思い出しました。
蔵前氏と並ぶと言うとおこがましいのは承知ですが、私も30年、旅をしてきたのだぁ、とちょっと感傷的になりました。

『あの日、僕は旅に出た』の帯には作家・石井光太氏が「日本人旅行者は、蔵前仁一さんが描いた<旅>をたどっているだけなのではないか。」という推薦文を寄せています。
まさにその通りだと思います。

私の旅のスタイルも変わりました。
もうバックパックは使っていませんし、ドミトリーに泊まることもしません。
写真の機材もフィルムからデジタルになり、パソコンを持っていきます。
フライトも鉄道もバスもネットで時刻を調べ、ネットで予約できるのは予約してしまう。でも、この先も旅を続けて行くでしょう。
やはり「旅」が好きなんですね。

『あの日、僕は旅に出た』を読み、自分の旅を考えた日でした。