フエの宮廷料理2012年05月01日 07時38分32秒

ベトナム中部の街、フエは古くは王朝のあった街でした。
日本で言うと京都のような存在で、歴史があるとともにフエ料理というのはベトナムの料理の中でも一種ステイタスを持っています。
そのフエの料理の中で宮廷料理というのがあります。
宮廷の料理人が街に降りたときに広めた料理です。

せっかくなので食べに行ってきました。


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路地の奥のわかりにくいところにあります。

料理はコース料理のみ。
8種、9種、10種の中から選びます。
私は一人だったので8種にしました。


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最初は前菜。
これが運ばれてきた時、おもわず「ビューティフル」と言ってしまいました。
取りは瓜からできていて、鶏冠はにんじん、くちばしは赤唐辛子、目は黒胡椒です。
土台は春雨を揚げてカレー風味、そして蕪の酢漬け、尻尾はパテです。
食べるのは尻尾です。


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次はスープ。
鶏ガラベースににんじん、タケノコ、卵、ネギにとろみをつけて胡椒を効かせています。


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湯葉で包んだ揚げ物3種類。
土台のパイナップルはくり抜いて、ろうそくが入っています。

もう、驚くばかり。


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これはパイナップルの胴体に、同じくパイナップルの頭です。
背中の揚げ春巻きを食べます。
胴体のパイナップルを食べてみましたが、充分甘かったです。

ここまでくると笑えてきます。


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ウエイトレスも当時の官女の姿でサーブしてくれます。


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これはドラゴン。
頭は瓜とにんじんと唐辛子の細工。
鱗はにんじん、尻尾はキュウリです。
胴体の花形に切ったにんじんの下には、にんじんの細切りと青パパイヤの和え物です。


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次がエビ。
拍子抜けするほど普通でした。
身はプリプリしていて美味しかったです。


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とどめがカメ。
にんじんの細工の下は焼きめし。

隣の席の家族連れと盛り上がりましたねぇ。


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最後は普通にスイカ。

8品にビール3缶飲んで2,000円程。

いや繊細な味と細工の芸。
おなかいっぱい、楽しませていただきました。


フォー


ちなみに町の食堂でフォー1杯が40円~100円程度です。

フエの素敵な人たち2012年05月02日 00時12分12秒

昨年のカンボディアと同様、本人の許可をもらいOKだった人の写真をアップします。
皆さん、ほんとにいい顔しています。
面白いことに、だいたい3カット撮らせてもらうのですが、一番最初のカットが一番良い人が多いですね。

これだから旅はやめられない(^^)

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ホテルのベルボーイ。
彼に部屋まで荷物を運んでもらいました。

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泊まっているホテルのフロントのお姉さん。
良い表情しています。


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ホテルのレストランのウエイトレス。
彼女のおかげで気持ちよく朝ゴハンを食べることができました。


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アオザイの販売店のお姉さん。
私が行ったのはクリーニングをお願いするためでした。


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その隣の店のお母さん。
何をしゃっべっているか意味不明なのですが、一生懸命、私に話かけてくれました。


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2日間、ビールを買うために行っていたら、すっかり仲良くなったお父さん。
ベトナム戦争のテト攻勢のことも教えていただきました。
下は孫娘です。



今朝、声をかけてきたバイクタクシーの運転手。
カメラを向けたらダンディなポーズを取ってくれました。


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タントアン村に行くために頼んだタクシードライバー。
丁寧なガイドありがとうございました。


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タイトアン村の雑貨店の陽気なお母さん。


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旧市街のカフェのウエイトレス。
良い表情してくれました。


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昼食によった食堂の陽気なオーナーと食事をしていたカップル。


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屋台でフォーを食べていた時、対面に座っていた兄ちゃん。
3杯もおかわりしたのにはビックリ。
それと屋台のおばちゃん。
ごちそうさまでした。


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夕方、フエ駅近くのカフェで。
素敵な表情ありがとう。

他にもたくさん撮らせていただきました。

みなさん、ありがとう。

明日はダナンへ向かいます。



再会2012年05月05日 11時25分24秒

昨日、サイゴンに戻ってきました。
夜7時、サイゴン在住のmibuさんと再び食事をして、食事の後、ファングーラオ通りに行きました。

サイゴンのファングーラオ通りは、バンコクのカオサンなどとならんで旅行者の集まるエリアで有名です。

mibuさんは、システム・エンジニアでファングーラオにあるホテルに逗留(住んで)して仕事をしています。
彼にとってトーキョーでもニューヨーク、バンコク、サイゴン・・・ネットがつながる環境であれば何処でもいいわけで、彼はサイゴンが気に入り、年間7ヶ月ここに住んでいます。

私も13年前、初めてベトナムに来たとき最初に泊まったのが、このエリアでした。

mibuさんに案内してもらいファングーラオに来たものの13年前より遙かに賑やかになり、まして夜なので昔の面影がなく、別の街になっていました。

「mibuさん、私が前にきた時、路地に入った奥のゲストハウスに泊まっていたのですよ。たしか、こんな雰囲気の路地だったのですよ。」
と、私は一つの路地に入っていきました。

「そうそう、しばらく奥に行って右側だったのですよ。もしかしてこの通りかな?」
「ogawaさん、行ってみましょうよ。」
2人で奥に進んでいくが、記憶にある建物がない。
だいたい、このあたりであろうという場所に来てみたが、そこはトラベル・エージェンシーで、はやり違うようである。
「mibuさん、どうも違うようです。」
「ogawaさん、そこの人に聞いてみましょうよ。」
エージェンシーの受付には35歳ぐらいの男性が座っていました。

私はスマホを取り出して、Wi-Fiの波が拾えるかどうか試すと、あるわあるわフリーの波が。
そこで自分のホームページにアクセスし、1999年のベトナム旅行記のを呼び出しました。
そこに写っている親子と、書いている記事から「Huron」というゲストハウスで、娘の名前がTienということを思い出しました。

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そのページを表示して、mibuさんが、その男性に英語とベトナム語を織り交ぜて聞いてくれました。
しばらく、その親子の写真を見ていた男性は言いました。
「お母さんを知っている。このゲストハウスはHuronからThai Nhiという下宿屋になっている。
と言いながら名刺の裏に名称と所在地を書いてくれました。

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mibuさんと私は「わぁ、知っているんだ。このお母さん、この界隈では有名なのかも」と言ってメモをみた瞬間。
「ogawaさん・・・この住所・・・ボクの(住んでいる)ホテルの向かいです・・・なんか震えてきました。行ってみましょう。」
「えーーっ!ほんとですか?」
「そうです末尾の偶数が通りの右側、奇数が左側を意味しています。」
mibuさんの住んでいる通りに向かいました。
結構、離れていました。
結局、私は見当違いの通りに入っていったようです。
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その場所につきました。
まったく記憶とは違いました。

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1階は古本屋というかロンリープラネットが積み上げてあります、そこにいる女性に親子の写真を見せてききました。
「ああ、このお母さん、私のボスです。そこにいないかしら?」
と教えてくれたのは、一軒隣の路上で数人の女性がお茶を飲んで談笑していました。


そこへ行き、そのグループにスマホを見せたところ、皆さん驚いて、「お母さん、そこにいるはずよ」と先ほどの店を指さしてくれました。
なんだかんだ言っていると当人が現れました。

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これが当時の写真です。

私はスマホを見せて13年ぶりですと挨拶すると、とても喜んでくれました。
ただ、一緒に写っているTienは、郊外で高校の先生をしているとのこと。
お母さん、当時より若くなっていました。

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そして、そのグループにはお母さんの娘さんであり、Tienの妹さんであると自己紹介してくれました。
mibuさんはmibuさんで(自分のホテルを指さして)ここに住んでいるなどと盛り上がっているました。

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右の女性が妹さん。

その時、妹さんが、私に携帯を渡して「今、Tienと電話つながっているわ。話をしたら。」と電話を渡してくれました。
もう私はビックリ。私はTienを知っていますが、向こうからすれば当時、数日泊まっただけの客にすぎません。
それでも彼女と話しをすることができました。
なんか、もう、それだけで嬉しくて。

mibuさんも「ううん、良いですねぇ。」と一緒になって喜んでくれている。
挨拶をして別れ、コーヒーを飲みに行きました。

mibuさんはこの界隈の住人でもあるので、あちこちから声がかかってきます。
いつも行く店でコーヒーを注文して、「すばらしい夜だ」と感想を言っていました。
もし、スマホでなければ、Wi-Fiが繋がらなければ、ホームページで残していなかったら・・・この再会はあり得ませんでした。
なんという偶然でしょう。

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その時、私たちに「ハロー」と声がかかりました。
見上げると一人の女性が。
「Tien・・・!?」私はすぐにわかりました。

「妹から、黒っぽいTシャツを着た2人の日本人と聞いて来たから探したわ。」
もう、驚きで言葉が続きません。
なんと当人が電話だけでなく、わざわざ私たちを訪ねてきてくれたのです。
当時、高校生でしたから、今は20代後半でしょう。
写真の面影そのままです。

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高校出た後、生活が苦しく4年間服の販売の仕事につき、その後、高校の先生になったとのことです。
私はただ嬉しくてニコニコしているだけで、ほとんどmibuさんが聞き出してくれました。
当時の写真がほとんど無いので、データを送ると約束してメールアドレスを交換して別れました。

別れしなに、バイクタクシーに乗るとき、カメラをたすき掛けにした時、彼女は「(ひったくりが多いから)カメラには気をつけて。」と言ってくれました。
この言葉は、13年前、レンズ交換がしやすようにカメラバッグの上を開けたまま撮影してホテルに戻るとTienが「カメラには気をつけて、ちゃんと閉じて」と言っていた台詞と同じです。
13年経って、また、同じ言葉を聞くことになるとは。

サイゴン、最後の夜。とても嬉しく幸せな夜でした。

そして、mibuさん、貴方がいなければ再会なんてありえませんでした。
ほんとにありがとう。


1999年のホームページ
悠久のメコンと喧噪のサイゴン
http://www.ne.jp/asahi/travel/ogawa/vietnam/top.html

建設中2012年05月10日 22時39分25秒


建設中


本日、仕事で建設中の建物の中に入りました。
ヘルメットかぶり長靴履いてでした。

建設中のむき出しの鉄骨の直線の美しさに見とれてしまいました。
コンデジではなく一眼もしくはX10持っていけば良かった。
ちょっと後悔。

LCCを使った旅2012年05月16日 21時13分48秒

GWは関空-羽田-シンガポールはANA、そしてシンガポール-ホーチミンはジェット・スター、ホーチミン-フエ、ダナンはベトナム航空を利用しました。

ジェット・スターやベトナム航空で片道3~4,000円で飛ぶことができました。
(ベトナム航空はLCCではありませんが、同区間のジェット・スターより安い料金を設定しています。)

チャンギ空港ターミナル1
シンガポール・チャンギ空港ターミナル1はエア・アジアやジェット・スターなどのLCCが中心。
これ以外にもチャンギ空港はバジェット・ターミナル専用のターミナルがあります。

昨年のカンボディア行きでもシンガポール-プノンペン往復はジェット・スターを利用しましたし、インドでもキングフィッシャーなどを利用して移動しました。2年続けて行っている台北も関空-台北間も片道8,000円のジェット・スターを利用しました。
LCCの台頭で、私の旅の移動方法が大きく変わりました。

そして、この3月には国内初のLCC、Peach Aviationが就航しました。
そのPeachも5月8日から初の国際線、関空-ソウル便を就航させ、日本人の旅行のローシーズン6月~7月中旬に合わせて、片道2,980円のバーゲンチケットを売り出しました。
Peachは燃油サーチャージを取らないので、これに空港使用料や発行手数料を上乗せしても往復で1万円ちょっとでソウルを往復できることになります。
これはFSA(フル・サービス・エアライン=通常の航空会社)のマイルのポイント交換による無料航空券と変わらない値段です。


無料航空券といっても、燃油サーチャージや空港使用料は支払わないといけないので、関空-ソウル便でも往復で1万円程度の支払いは発生します。
この区間は、韓国のLCC、チェジュ航空がすでに就航しています。
ANAやJAL、アシアナ、KALを巻き込んだ客の争奪戦が始まりました。

またPeachは7月以降、香港、台北便も就航します。
香港も最低運賃8,880円で販売されています。空港使用料を含めても往復で2万数千円。
新幹線の京都-東京間往復と変わらない料金です。
この料金設定で、アジアの都市がいっそう近くなりました。
この安い料金設定を上手く利用して旅の計画を立てることも楽しいものです。
Peachの香港便は関空を21時10分に出発、香港到着が0時05分着。香港発は0時50分発で関空着は5時30分。
これだと金曜の夜に出発して、日曜の朝に帰ってくる0泊3日という旅行も可能です。
深夜、香港着。夜中に重慶マンションに転がり込んで仮眠し、翌日、まる1日香港遊んでヨンキーレストランでガチョウのローストを食べた後、余裕で空港に行って帰国するスケジュールを組めます・・・ちょっとハードですが。
香港便のナイトフライトというのはありませんでしたので、これなら週末でも行けます。


それに、LCCが新路線就航の際に必ずと言っていいほど販売する、就航記念のバーゲンチケットも販売されるでしょう・・・販売してほしい。
それを狙ってみますか。