田舎と都会を併せ持ったイーグルスの音楽2006年06月14日 20時22分14秒

Eagles

イーグルス(Eagles)、昨日のフリートウッド・マックと同様、70年代に活躍した代表的なグループです。
70年初めごろにドン・ヘンリー(ds.vo)、グレン・フライ(g.vo)、バニー・リードン(g)、ランディー・マイズナー(b)の4人で結成されました。
当初はまったく売れないバンドで、リンダ・ロンシュタッドのバックバンドをして、徐々に知名度をあげていきました。

1972年アルバム「イーグルス・ファースト(Eagles)」でデビュー、この中から「テイク・イット・イージー(Take It Easy)」「魔女のささやき(Witchy Woman)」のヒットをだし、カントリー・ロックという、明るくて軽いリズムのロック、後にウエスト・コースト・ロックと呼ばれる原型ですね。
アコーステック・ギターやバンジョーなどを使いカントリー・ミュージックを意識した構成の楽曲が多いのが特徴です。1973年セカンドアルバム「ならず者(Desperad)」をリリース。アルバムタイトル曲を初めヒットを飛ばします。

爽やかだけど、どこか土臭い香りのするバンド、そして「オン・ザ・ボーダー(On The Border)」リリース。ここからドン・フェルダー(g)が加入します。
私がイーグルスを聞き出したのは、このアルバムからのヒット曲「わが愛の至上(Best of My Love)」を聞いてからです。
なんて格好良いグループなんだ・・・というのが第一印象でした。

第4作「呪われた夜(One of These Night)」このアルバムで、イーグルスは一気にメジャーグループとなりました。そしてここから音楽性が大きく変わりました。ジョー・ウォルシュ(g)の加入により、カントリーからロックへと大きく舵を切りました。
これによりロック化に反対だったバーニー・リードンが脱退しました。
「呪われた夜」やランディー・マイズナーのボーカルによる「テイク・イット・トゥー・ザ・リミット(Take It to The Limit)」などの名曲が収録されています。

そしてこのアルバムは賛否両論でした、昔からのファンはカントリー時代のイーグルスが好きなのでロック化したイーグルスなんて聞きたくない、という意見でした。
FM放送でも、よくこの論議を聞きました。



同1975年「イーグルス・グレイテスト・ヒット 1971~1975(Eagles Greatest Hits 1971-1975)を発表。ベストアルバムでビルボードアルバムチャートでNo1を取るという快挙でした。
このアルバムジャケットのコンドルの頭蓋骨周辺の粉なコカインであるという噂もありましたね。
私はこのアルバムが一番好きなんです。

そして1976年運命の「ホテル・カリフォルニア(Hotel California)」リリース。
今までのアルバムと違い、社会性やメッセージ性の強いアルバムとなっています。
ドン・フェルダーの12弦ギターのイントロで始まり、
On a dark desert higeway, Cool wind in my hair~♪
とドン・ヘンリーの渋い声で始まる名曲「ホテル・カリフォルニア」から「ラスト・リゾート」までアメリカの退廃を示唆しています。世界で1,100万枚売ったとされるこのアルバムは、イーグルスというグループの運命を決めたといえるかもしれません。

私も大阪公演に行きました、会場は万博広場で、広場をパーテーションで仕切っての会場でした。1曲めがいきなり「ホテル・カリフォルニア」でした。
後で友人と、なぜ1曲目に持ってきたのだろう、みんなは「ホテル・カリフォルニア」を聞きたいから、その後の曲がどんなに良くても下がる、ような話をしていました。

そしてランディ・マイズナーが脱退して、ティモシー・シュミット(b)が加入しました。
1979年「ロング・ラン(The Long Run)」をリリース。
前作があまりにも凄すぎたので、このアルバムの評価は低いものでした。そしてこれが最後のオリジナルアルバムとなりました。1982年解散、この後1994年に再結成してアンプラグド・ライブで演奏、そして「ヘル・フリーゼズ・オーバー(Hell Freezes Over)」をリリース、その後も一時的再結成して日本にも来ています。
私にとっては今でも格好いいオヤジたちです。

最後に・・・
液晶で有名なメーカーS社に入社したNという親友がいます。
海外勤務が多く、1990年からアメリカのメンフィスの工場で勤務していました、Nは帰国すれば私と会っていました。
Nと最後にe-mailでやり取りしたのは5年前。
彼はこう書いてました。

ogawa、オレはもう日本に帰れないよ。
アメリカという国は、オレにとって「ホテル・カリフォルニア」だ。
お前なら知っていると思うが、曲の中にこういう歌詞がある。

You can check out any time you like, but you can never leave♪

オレは、いつでもアメリカから出られるはずなのに、なのに出ることができないんだ。
アメリカに絡めとられてしまっているよ。

そのメールを最後にNとは音信不通になりました。しばらく後、会社のメールアドレスもunknownで戻ってきました。
今も元気でアメリカにいるのだろうか・・・

コメント

_ 三谷眞紀 ― 2006年06月14日 21時01分18秒

すごくレビューがかっこいいです。

_ ヒョウちゃん ― 2006年06月14日 22時31分38秒

連続投稿してしまいます。
イーグルス、ラジオで聴いていましたよ。たぶん、初めて流れてきたのは、「魔女の囁き」でございました。
その頃、まともなステレオというものを持っていなくて、もっぱら、ラジオとエアチェックによる録音だったなあ。モノラルのラジカセだったから、音もひどいものでした。
こんな状態が大学に入ってしばらくまで続きます。
その後アルバイトにより、格安の一応ステレオ手に入れましたが、レコードもここぞというものだけ買っていました。
「ホテル・カリフォルニア」は、高校の時だったです。でも、意味とか理解できないじゃないですか。
ようやくわかりかけてきたのは、自由に使えるお金ができた社会人になってからです。
てなわけで、イーグルスは全部持ってます。ようやくにして。
ま、上記のような状態だったから、ライヴを見に行くなんて発想がなくて、残念な思いをしていましたが、一昨年のフェァウェルツアー、行きましたよ。
全盛期からかなり時間が経っているし、ドームだからあまり期待もしていなかったんですよね。ですが、ぶっ飛びました。
ドン・フェルダーももちろん、ランディ・マイズナーも、バーニー・リードンも来ていませんでしたが、よかったですよ。待っていた甲斐がありました。
ドン・フェルダーのかわりの代役のギタリストが出ていましたが、「ホテル・カリフォルニア」のイントロ、見事に再現してくれました。ああやって弾いていたんだって。
>ドン・フェルダーのダブルネックのギター、6弦と12弦の付いたやつです。

_ ogawa ― 2006年06月14日 23時14分52秒

>眞紀さん
眞紀さんにしては珍しくストレートな感想ありがとうございます。
そう言っていただけると嬉しいですね。

>ヒョウちゃん
連日の感想ありがとうございます。
ほぼ同じ世代であることがわかります。
あの頃は一曲一曲を、いかに自分のテープに入れるかが大命題でしたよね。
「ホテル・カリフォルニア」が高校生の時は、私と同じですね・・・たしかにあの時は歌詞の意味などわかりませんでした。単にメロディラインが格好いいなぁ・・・という程度でしたものね。
今、聞いても格好いいですね・・・イーグルスは。
このシリーズ・・・もう少し続けますので、またお暇なときにお寄りください。

_ K国 ― 2006年06月16日 07時26分01秒

フリートウッド、マックは恥ずかしながらよく知りませんが、イーグルスとドゥービーブラザースは良く聞きました。
ビートルズの時のようにレコードを買ったりした訳ではないので、FMを録音したり、ベストヒットUSAをビデオに録ったりしてました。

_ ogawa ― 2006年06月16日 21時03分20秒

>K国さん
K国さんの世代でしたらビートルズですよね。
イーグルスやドゥービーなんて、K国さんが世界を放浪してレースをしていた頃ではないですか?
70年代の音楽はそれぞれに思いがありますよね。

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