懐かしい電話 ― 2008年04月25日 21時48分00秒

一昨日の晩10時頃、携帯電話が鳴った。
表示を見ると懐かしい人からだった。
「もしもし、ogawaです。Oさんお久しぶりです。お元気ですか?」
「ogawa選手(私のことをこう呼ぶ)、GWはこっち(大分)に来ないのか?船出すよ。」
「う~ん、予定はないですねぇ。」(すっかり失念していた。)
「来るならいつでも釣り船だすからな。」
「船釣りか、またしたいなぁ。まぐれでヒラメ釣ったのもだいぶ前のことですし。ご存知のとおりこの数年あんまり別府に行ってないですし。」
0さんは大分県の職員で別府時代に仕事でお世話になったうえ飲み友達であり、釣り大好きなのでよく釣り船を出して「関アジ、関サバ」を釣りに連れていってもらいました。
写真は5年前のGWにビギナーズ・ラックで大ヒラメを釣った時の写真です。
「ogawaさん、ちょっと電話かわるし。」
周りがざわついているのと、Oさん声の調子からすると飲んでいるな。
ということはボクの知っている人だ。
で、明るい声が聞こえてきた。
「ogawaさん、お久しぶりです。Mです。」
「わぁ、Mさん、ほんとご無沙汰です。」
「ogawaさん、いつ大分に戻ってくるんですか。京都より大分のほうがいいでしょう。」
「ははは、大分いいですねぇ。また遊びに行きますよ。」
「そうそう、ogawaさんに騙されて息子をAPUに入れましたよ、今は3回生なんですよ。」
「えー、そうなんですか。ありがとうございます。」
Mさんも県の職員で、2002年のワールドカップの時、高円宮家のお成りお一緒にやった仲で、それ以降も一緒に仕事をして飲んだなぁ。
2人とけっこう長電話になり、懐かしくてそして気遣いがとても嬉しかった。
「大分に行くと2度泣く。」という言葉があります。
これは大分の田舎に都落ちで泣き、離れるときは人の情の深さで離れるのが悲しくて泣くということです。
私もそうでした。
大分(別府)がらみで5年仕事をして、うち3年は別府在住。
そして大阪に戻ってきてまる5年。
でもあの時一緒に仕事をした人たちが忘れずに声をかけてくれるのはとても嬉しい。
いつ遊びに行こうかな。
表示を見ると懐かしい人からだった。
「もしもし、ogawaです。Oさんお久しぶりです。お元気ですか?」
「ogawa選手(私のことをこう呼ぶ)、GWはこっち(大分)に来ないのか?船出すよ。」
「う~ん、予定はないですねぇ。」(すっかり失念していた。)
「来るならいつでも釣り船だすからな。」
「船釣りか、またしたいなぁ。まぐれでヒラメ釣ったのもだいぶ前のことですし。ご存知のとおりこの数年あんまり別府に行ってないですし。」
0さんは大分県の職員で別府時代に仕事でお世話になったうえ飲み友達であり、釣り大好きなのでよく釣り船を出して「関アジ、関サバ」を釣りに連れていってもらいました。
写真は5年前のGWにビギナーズ・ラックで大ヒラメを釣った時の写真です。
「ogawaさん、ちょっと電話かわるし。」
周りがざわついているのと、Oさん声の調子からすると飲んでいるな。
ということはボクの知っている人だ。
で、明るい声が聞こえてきた。
「ogawaさん、お久しぶりです。Mです。」
「わぁ、Mさん、ほんとご無沙汰です。」
「ogawaさん、いつ大分に戻ってくるんですか。京都より大分のほうがいいでしょう。」
「ははは、大分いいですねぇ。また遊びに行きますよ。」
「そうそう、ogawaさんに騙されて息子をAPUに入れましたよ、今は3回生なんですよ。」
「えー、そうなんですか。ありがとうございます。」
Mさんも県の職員で、2002年のワールドカップの時、高円宮家のお成りお一緒にやった仲で、それ以降も一緒に仕事をして飲んだなぁ。
2人とけっこう長電話になり、懐かしくてそして気遣いがとても嬉しかった。
「大分に行くと2度泣く。」という言葉があります。
これは大分の田舎に都落ちで泣き、離れるときは人の情の深さで離れるのが悲しくて泣くということです。
私もそうでした。
大分(別府)がらみで5年仕事をして、うち3年は別府在住。
そして大阪に戻ってきてまる5年。
でもあの時一緒に仕事をした人たちが忘れずに声をかけてくれるのはとても嬉しい。
いつ遊びに行こうかな。
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