旅の断片・・・ベルリンの壁が無くなった時 ― 2006年01月25日 20時39分37秒
1990年8月、私は友人Uと東ベルリンにいた。
その3日前、イラクのクエート侵攻で世界は騒然としていた。
また「東側」の政治体制が崩壊して、歴史が変わろうとしていた時代でもあった。
西ドイツ、東ドイツ、西ベルリン、東ベルリン・・・今は無い国名であり都市名である。
当時の西ドイツの首都はボン。東ドイツはベルリン。
西側からするとベルリンの半分は西ベルリンなので、それ以外は東ベルリンという呼称。
東側からすると西ベルリンという都市は存在していないので、ベルリンは一つしか存在しないので西も東も無いというのが公式見解であった。
私が行った時は、すでに東ドイツの国境は消滅状態で、西ベルリン東ベルリンの行き来もスルー状態でした。
「壁」に関する感想は旅行記「ベルリンの壁と湾岸戦争」の中で書いてるので、そちらを見ていただきたい。
東ベルリンに入った時感じたのは、「ガランとしている街だな」であった、無機質なビルが立ち並び、車の通行量も少ない。
そして東側には「広告看板」が存在していないでなおそう感じたのだろう。
ベルリンを撮ったフィルムは3日もいたのに、たった3本。
今、フィルムをチェックしながら「もっと撮っておけばよかった」と後悔しきり。
あれから15年が経つ。
ドイツの首都はベルリンになり、開発ラッシュで西も東も当時の面影がほとんど無いという。
今や西側、東側なんていう言葉は使わない。
ベルリンの壁が消滅した時、間違いなく、その言葉も消滅したのである。
そして歴史に、その言葉のみが残っている。
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