別府でお気に入りの料理屋「あれこれ」 ― 2006年10月10日 21時02分01秒

結婚式の披露宴が4時30分から始まり、その後二次会。
若い友人たちで盛り上がっている二次会を、途中で失礼をした。
時計は10時をさしている。
「ふぅ、飲み続けだ。酔っ払ったな。」
もうホテルに戻ったほうが良いのだが、別府に来たらどうしても顔を出しておきたい店がある。
略礼の前ボタンとシャツの第1ボタンをはずし白いタイを緩めて店に向かった。
「こんばんは」
一瞬ママが驚いた顔をして
「ogawaさん、いつ来たの。」
「今日です。ここにいた時、面倒をみていたカップルの結婚式に出席してたんです。披露宴や二次会と続いたので食べるもんはいらないので、麦(焼酎)の水割りでカボス絞ってちょうだい。」
いつも人でいっぱいの店が、土曜日ということもあり私以外はお客さん一人であった。 「ご無沙汰やねぇ。」
「そうですね、昨年の12月の初めに、結婚の祝いで来て以来です。なかなか仕事でこれなくて。でも別府来たらここに来ないと。」
「半月ほど前にOさんが来てたよ。」
「あれっ、そうなんですか?あのオジサン何ウロウロしているんだ。」
大皿に盛ってある、おばんざいを適当に盛ってもらった。
典子ママも客が引けたのでカウンターに来て話しながら飲んでいた。
店の名前は「あれこれ」
別府駅から海側に向かい、国道10号線の近くにある。
女性3人で経営している料理屋さんであり、いたって気安く入れる店である。
料理が美味いのでいつも客でいっぱいである。
昨年9月に一度このblogで紹介させてもらった。→こちら
別府に住んでいた頃には、よくお世話になったものである。
「今日ね、アサリの炊き込みご飯作ったけど食べる?」
「う~ん、食べたいけど、お腹いっぱい。」
たぶん、こんな会話が好きでこの店に行くのだろうな。
2杯目の焼酎も飲んだし、これ以上飲むとつぶれそうだ。
そろそろホテルに引き上げよう。
「ogawaさん、どこ泊まっているの?」
「そこの西鉄リゾートイン」
「あそこの朝食は寂しいわね。」
「あれこれ」と国道挟んで斜め向かいに位置して3分もかからない。
西鉄リゾートインは快適なホテルだが、B&Bスタイルなので、朝食はパンやインスタントのみそ汁などのセルフサービス。
勘定を払っていると、ママが「これ持って帰りなさい。このみそ汁もなかなか美味しいわよ。」と渡してくれたのは、アサリの炊き込みゴハンのおにぎりと、フリーズドライのみそ汁。
翌朝、ホテルの食堂で美味しくいただきました。
ママ、ごちそうさまでした・・・また行きますね。
日本で唯一乗れるホバークラフトの話 ― 2006年10月11日 21時18分39秒

大分には日本で唯一、乗ることのできるホバークラフトが定期船で運航されています。
大分空港は国東半島にあり、そこから大分市内まで別府湾を横切り一直線で結んでいます。
所要時間は25分。
通常、空港バスだと1時間かかりますので速いことは速い。
ホバークラフトは、下にエアを噴射して、リアのエンジンで前を進む水陸両用ビークルですが、扱いが難しいため、今現役で運航しているのは大分だけです。
私も一度乗ったことがりますが、速いそしてすごい騒音です。
そんな絶滅寸前の乗り物乗りに来ませんか。
義父の死と娘の心 ― 2006年10月15日 12時54分11秒
11日、妻の父が亡くなり太宰府に行ってました。
3年前に喉頭癌の手術をして、この9月に再入院、医者からも年内いっぱい持つかどうかと告げられてましたので、それなり心の準備はしていましたが、予想より早く容態が急変して逝ってしまい、最後を看取ることができませんした。
11日の朝、オフィスに出勤した途端、妻から携帯に「父の様子が急変したので、これから福岡に行く」と電話がかかってきました。そして10時頃新幹線の中からメールで「もう逝ってしまった。」と連絡が入りました。あまりにも急だったので当面の仕事の引継をして関係者に連絡をとって、翌12日の朝一のフライトで娘を連れて福岡入りをしました。
義父は昭和6年生まれの享年75歳。
たまたまですが私の亡くなった父と同じ年の生まれだったので、父が57歳で亡くなったあとは、私の実の父のような存在でした。
私は、学生時代から友人、彼女や父、祖母など親しい人を何人か亡くしたので、別れの辛さはわかっているつもりですが、娘は高校1年で初めて自分の身の回りの親しい人を送ることになります。
まして娘は「初孫」なので、義父に一番可愛がられた孫でした。
娘がどう反応するか心配でした。
10時過ぎ太宰府の家に到着。
遺体は家に戻っていて、先に来ていた妻が最後の状況を説明してくれました。
案の定、娘はパニックに陥り、泣きじゃくりながらしばらく立ち上がれませんでした。
そして「お爺ちゃんが死んだのは自分のせいだ。」と過度の反応をしはじめたので「これはマズイ」と思い、何度も何度も「そうじゃない。これは仕方がないこと。順番だ。」と言い聞かせました。
お通夜でも葬儀でも娘は何度も泣きました。
葬儀の時は、孫一同で義父を送る言葉を娘が書き、従兄弟がそれを読み上げると、私も「うっ」とこみ上げてくるものがありました。
最後、火葬場で骨を拾っている時は娘は落ち着いていました。
心の整理がついたのでしょう。
人はいつか死にます。
これは順番です。順番が逆だっともっと辛い別れになってしまいます。
今回は、娘にとって初めての辛い経験でしたが、親しい人の「死」を経験をして「生」を自分のものとする事ができたと思います。
それは義父が孫に最後に贈った、生きていくうえで一番大事なことでした。
3年前に喉頭癌の手術をして、この9月に再入院、医者からも年内いっぱい持つかどうかと告げられてましたので、それなり心の準備はしていましたが、予想より早く容態が急変して逝ってしまい、最後を看取ることができませんした。
11日の朝、オフィスに出勤した途端、妻から携帯に「父の様子が急変したので、これから福岡に行く」と電話がかかってきました。そして10時頃新幹線の中からメールで「もう逝ってしまった。」と連絡が入りました。あまりにも急だったので当面の仕事の引継をして関係者に連絡をとって、翌12日の朝一のフライトで娘を連れて福岡入りをしました。
義父は昭和6年生まれの享年75歳。
たまたまですが私の亡くなった父と同じ年の生まれだったので、父が57歳で亡くなったあとは、私の実の父のような存在でした。
私は、学生時代から友人、彼女や父、祖母など親しい人を何人か亡くしたので、別れの辛さはわかっているつもりですが、娘は高校1年で初めて自分の身の回りの親しい人を送ることになります。
まして娘は「初孫」なので、義父に一番可愛がられた孫でした。
娘がどう反応するか心配でした。
10時過ぎ太宰府の家に到着。
遺体は家に戻っていて、先に来ていた妻が最後の状況を説明してくれました。
案の定、娘はパニックに陥り、泣きじゃくりながらしばらく立ち上がれませんでした。
そして「お爺ちゃんが死んだのは自分のせいだ。」と過度の反応をしはじめたので「これはマズイ」と思い、何度も何度も「そうじゃない。これは仕方がないこと。順番だ。」と言い聞かせました。
お通夜でも葬儀でも娘は何度も泣きました。
葬儀の時は、孫一同で義父を送る言葉を娘が書き、従兄弟がそれを読み上げると、私も「うっ」とこみ上げてくるものがありました。
最後、火葬場で骨を拾っている時は娘は落ち着いていました。
心の整理がついたのでしょう。
人はいつか死にます。
これは順番です。順番が逆だっともっと辛い別れになってしまいます。
今回は、娘にとって初めての辛い経験でしたが、親しい人の「死」を経験をして「生」を自分のものとする事ができたと思います。
それは義父が孫に最後に贈った、生きていくうえで一番大事なことでした。
母と深夜特急 ― 2006年10月16日 17時44分17秒
義父の葬儀の後始末で妻が福岡に残っているので、昨日から私の母が孫(娘)のためにゴハンや弁当を作るという大義名分でウチに来てくれています。
ありがたいことです。
昨晩、ゴハンの後、話をしていたら一冊の文庫本を出してきました。
「お兄ちゃん(長男なのでこう呼ばれる)、今、沢木さんの深夜特急を読んでいるの。なかなか本屋に揃っていなくて探したのよ。」と深夜特急の文庫の第5巻を見せました。
「しんやとっきゅう~ぅ!? おふくろが? そんな言ってくれたらハードカバーから文庫、全集までウチに揃っているから貸してあげたのに。」
「あら、そうなの。でもバスで乗って旅行なんてすごいわね。マカオのギャンブル、ペナンの売春宿やインドの施設の話が印象に残ったのよ。」
ちゃんとフツーの反応しているやん。
「ふ~ん、ちゃんとわかっているんだ。しかし、おふくろは、いままで沢木耕太郎の本なんて読んだことなかっただろう。」
「ほらワールドカップの時、新聞に観戦記書いてたでしょう。それとNHKの衛星放送で深夜ブックレビューがあって沢木さん自身が出ていたし。」
「なるほど、おふくろらしい。今、どこ読んでいるの?」
「トルコ編。」
「ああ、使者としてゲンチャイに会いに行くところだね。」
「そうそう、よく知っているわね。」
「何度読んでいるか(苦笑)、海外に行きたくなった? 一度連れていってやろうか?」
母は、一度も海外に行ったことがありません。
「うん、行ってみたい。」
昭和一桁の73歳。
病気一つせず元気に一人暮らし、いつまでも好奇心の衰えない母にちょっと感心。
息子がこれだけ海外に行っているのに、今まで海外旅行なんて何も関心を持たなかった母に「海外に行きたい」と思わせる「深夜特急」はたいしたものだ。
一度連れていってあげましょうか。
ありがたいことです。
昨晩、ゴハンの後、話をしていたら一冊の文庫本を出してきました。
「お兄ちゃん(長男なのでこう呼ばれる)、今、沢木さんの深夜特急を読んでいるの。なかなか本屋に揃っていなくて探したのよ。」と深夜特急の文庫の第5巻を見せました。
「しんやとっきゅう~ぅ!? おふくろが? そんな言ってくれたらハードカバーから文庫、全集までウチに揃っているから貸してあげたのに。」
「あら、そうなの。でもバスで乗って旅行なんてすごいわね。マカオのギャンブル、ペナンの売春宿やインドの施設の話が印象に残ったのよ。」
ちゃんとフツーの反応しているやん。
「ふ~ん、ちゃんとわかっているんだ。しかし、おふくろは、いままで沢木耕太郎の本なんて読んだことなかっただろう。」
「ほらワールドカップの時、新聞に観戦記書いてたでしょう。それとNHKの衛星放送で深夜ブックレビューがあって沢木さん自身が出ていたし。」
「なるほど、おふくろらしい。今、どこ読んでいるの?」
「トルコ編。」
「ああ、使者としてゲンチャイに会いに行くところだね。」
「そうそう、よく知っているわね。」
「何度読んでいるか(苦笑)、海外に行きたくなった? 一度連れていってやろうか?」
母は、一度も海外に行ったことがありません。
「うん、行ってみたい。」
昭和一桁の73歳。
病気一つせず元気に一人暮らし、いつまでも好奇心の衰えない母にちょっと感心。
息子がこれだけ海外に行っているのに、今まで海外旅行なんて何も関心を持たなかった母に「海外に行きたい」と思わせる「深夜特急」はたいしたものだ。
一度連れていってあげましょうか。
結婚記念日と妻の誕生日 ― 2006年10月18日 21時05分22秒

珍しく、家族の話が3話続きます。
16日は結婚記念日でした。
1988年に結婚したので、もう18年です。
そりゃ、高校生の娘がいても不思議ではないな・・・フム。
でも義父の葬儀で、私も妻も完全に頭から飛んでました。
18日の今日は妻の誕生日です。
例年だと、この前後の休みの日にどこかに美味しいもん食べに行くのですが、今年はそれどころではありませんでした。
義父の葬儀の後始末で、妻が戻ってきたのが昨晩。
とりあえず片づけたという感じで、しばらくは大阪と福岡を行ったり来たりになります。
当面は落ち着きそうにもなりません。
私は私で、朝から仕事が忙しかったので妻の誕生日は意識の中にありませんでした。
昼、仕事を整理しながらスケジュール帳書き込んでいたら、「今日は18日だ。やべぇ、誕生日だ。」とやっと気づく始末。
今月、結婚式と葬儀と冠婚葬祭が重なったので、ウン十万円単位の出費になり、私の財布は空っぽ状態。
でも花の一つもないと寂しいしな。
しかし夕方までバタバタ状態。
一段落して、そういえば去年は電話で花を注文したな・・・と思い、今年もこの手でいこうと電話をしたら「時間が遅いので、今日中の配達は無理。」とのこと・・・アタタタ。
仕事を早めに切り上げて、20時前に高槻につくようにとオフィスを出ました。
西武高槻には「日比谷花壇」があります。
とりあえず花束を作ってもらい、地下でケーキを買って帰宅。
「ふぅ、なんとかなったな。」
なんとも慌ただしい、2006年の結婚記念日と妻の誕生日でした。
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