アップルハウスのフルーツサンド2008年04月22日 21時30分32秒

4月20日の桜
その店の扉を開けると大学生だった頃の記憶がよみがえってきた。
京都市内、烏丸北大路の交差点北東角にある「アップルハウス」。
果物屋「大清」の一角に作られた、カウンターだけで10席ほどの小さなフルーツパーラーである。
20日の日曜日の昼、私は27年ぶりにこの店のカウンターに座った。

この6月にネット仲間が結婚式をあげるということで、独身最後のネット仲間の飲み会をしようということで集まることになった。
三谷眞紀さんもその飲み会に呼ばれて京都にくることになった。
安藤建築を見たいとかリクエストをもらっていたが、数日前「週末京都に行ったらこの店にいきたい。」というメールをもらった。
http://kaneniwa.exblog.jp/8400592/

「どんな店だ?」とクリックして、そのブログを読み始めた。
そしてパソコンのモニターを見ながら私がフリーズしてしまった。

「なんでアップルハウスなんだ!?」
私の記憶から全く消えていた店だが、このブログの記事で一気に学生時代の記憶が蘇ってきた。
書き手はマーヒーさん、眞紀さんのブログでちょくちょくお名前は拝見させてもらっていたがブログを読むのは初めてであった。

お嬢さんを連れて京都に来たときの日記の一つであった。
学生時代の行きつけの店であり、その時を懐かしみ子供の成長を見守る素敵な文章である。そして他の記事も読んで「もしや!」と思って「マーヒーさん、私と同じ大学ではありませんか?それも同学年ぐらいでは?」とコメントを書いた。
案の定、ビンゴ。キャンパス内で間違いなくすれ違っている。
全学でも4,000人ぐらいの小さな大学だったので、卒業後偶然に知り合うという確率はとても低く珍しいことである。

そのマーヒーさんのコメントで広小路の「しあんくれーる」でアルバイトをしていたという記述もあって、懐かしくて涙がでそうになった。
その店は京都でも老舗のJAZZ喫茶で、私もよく行ってコーヒー一杯で長時間居座っていた。キース・ジャレットのケルン・コンサートなんてリクエストして、その時レコードを掛けてくれていたのはもしかしたらマーヒーさんだったかもしれない。
その、しあんくれーるも10年以上前に閉店してしまった。

烏丸北大路、駐車場に車を入れアップルハウスへ。
この交差点、年数回は通るのだが全く意識していなかった。
27年前と同じ場所に店はあった。
内装は昔のまま、客は私達だけ。

「こんにちは。」
ママは年齢を重ねていたが昔の面影のままだった。
当然、常連でなかった私のことなど覚えているはずもなく普通の接客、客が私達だけということもあり何となく切り出してみた。

「あのー、マーヒーさん(実際は本名)が学生時代にこちらによく来ていたというネットの記事を読んで、こちらの女性(眞紀さん)が東京から来たんです。それと私もあそこの大学の卒業なんです。27年ぶりにこちらに寄らせていただきました。」
と扉越しに見えている大学を指差して話を切り出した。

「マーヒーくんのお知り合いなんですか。」といっぺんに打ち解けた雰囲気になった。
「どちらの学科ですか?」
「社会学科です。」
「そうですか、あの大学も雰囲気が変わりましたね学生さんのレベルも低くなったし。」
「建物がほとんど入れ替わって桜並木とかもなくなりましたし。」

私は名物のフルーツとハムのサンドとニンジンのフレッシュジュースを注文。
眞紀さんはフルーツサンドとマンゴーとオレンジのフレッシュジュースを注文して、マーヒーさんのブログに「只今アップルハウスに来ています。」と携帯からコメントを書き込んでいる。




「学生の頃はフルーツサンドってほとんど注文しなかったんです。学生だからお昼にサンドウィッチでは足らないし、オヤツとしては高価だったし。いつも飲み物だけだったです。私はこちらより別の店に行っていたほうが多かったです。でも、その店も無くなっていました。」
「この界隈は店がだいぶ入れ替わって雰囲気が変わりましたね。皆さん、卒業してから懐かしいと寄ってくださるのでやめることができないのですよ。ありがとうございます。」
たしかにママの言うとおりだ。
大学周辺で私の出入りしていた喫茶店、ラーメン屋、うどん屋、雀荘など悉く無くなっている。京都は老舗という店はたくさんあるけど、学生時代に通った店は一代限りで店を閉じたりして残っている店は少ない。

20数年ぶりに食べるフルーツサンドウィッチは生フルーツしか使わない自然な甘さと懐かしさでとても美味しかった。

私は2回生までは授業やクラブで一日この大学周辺にいることが多かったが、3回生以上になると授業以外は大学にいないという生活になったので近辺の店に出入りすることはほとんど無くなった。
だからアップルハウスのカウンターで久しぶりに大学時代の友人や彼女の顔を思い出したそして不思議なことに名前も思いだしてきた。すっかり忘れていたよ、みんな元気にしているだろうか。
タイムマシーンのような店。
マーヒーさんが2週間前にお嬢さん連れてきた話やしあんくれーるの話で小一時間ほど話をしていたが、お客さんが入ってきたのを潮に引き上げることにした。
結局、私達はママに名乗ることなく店を出た。




久しぶりにキャンパスに行ってみた。
普段、61万㎡(甲子園16個分、TDLと同じ)のキャンパスで仕事をしているので、それと比較すると昔と変わらずとても狭い。端から端まで歩いて5分とかからない。



私の在学中の建物で残っているのは3棟だけである。
この狭いキャンパス、20数年前、ほぼ間違いなくマーヒーさんとすれ違っていたし、もしかしたら学食や図書館で隣に座っていたかもしれない。
そういう方と20数年ぶりにネットで邂逅したのも何かの縁でしょう。

「あの日に帰りたい」とは思わないけど、青春の一時期を過ごした場所であり、アップルハウスは過去を呼び戻してくれる場所、とても懐かしい日曜の昼でした。

*このきっかけをくれたマーヒーさんに感謝いたします。

コメント

_ マーヒー ― 2008年04月23日 15時29分13秒

そのマーヒーです。

娘とも、できれば立ち寄りたかった母校の最近の写真も
掲載していただき、ありがとうございます。

北大路にもビブレなどの大型店ができ、周辺の景色も一変しました。
私としたら、「ポイントが貯まる店」 じゃなくて、
「思い出が溜まるお店」 に寄っていてよかったと、
つくづく思いました。

この記事をありがたく拝読して、
私も次のブログ記事を、予定にはなかったのですが、
荒神口(広小路付近)にすることを決めました。

BYマーヒー

_ ogawa ― 2008年04月23日 22時41分53秒

>マーヒーさん
コメントありがとうございます。
このブログはマーヒーさんに読んでいただきたくて書きました。
偶然とはいえ、同じ時代に大学生活をすごした場所を共有できたことを知ることができて嬉しかったです。

「学生時代の喫茶店」ではないですけど、当時はなにも思わなくても、何年かたって、ふと振り返ったとき、自分のいた場所が残っていたということは有り難いですよね。

_ 三谷眞紀 ― 2008年04月25日 08時45分25秒

す、すみません。すっかりコメントが遅れました。
これ大変ステキな記事ですね。
学生時代を、どこかの街で過ごしたことのある人間なら誰でもグッとくる内容です。
それは高校時代とも、社会人ぺーぺーのときの感慨ともちがう、モラトリアム〜な大学生特有の、宙ぶらりんな感覚。

_ ogawa ― 2008年04月25日 21時53分23秒

>眞紀さん
卒業して20年以上経つと断片的にしか記憶にないですけど、そういう場所にいくと不思議と当時を思い出すのですよね。
学生時代、金はなかったけど考える時間はありましたね。
忙しいといっても社会人の比ではなかったですし。

_ 間塚 愛 ― 2012年09月09日 10時58分21秒

ogawaさま


初めまして。
夜には、鈴虫などが秋の音を運んでくる今日この頃でございます。
私は、今京都に住んでおります間塚 愛と申します。
31歳の女性です。

面識のなく突然コメントを失礼いたします。
私は今、社会人をしながら、演劇活動をしております。
その演劇のワークの一環で、
「昔、京都にあって今はなくなったもの、失われたもの」
というものを調べて発表することになっています。
そこで、何か、自分が興味をもって調べられるものはないかと調べたところ、
「しあんくれーる」というジャズ喫茶について書かれたブログをいくつか発見して、
その当時の文化や時代の温度に惹かれる部分もあり、「しあんくれーる」について調べることにしました。
調べていく過程で、こちらの記事にも出会うことができました。

「しあんくれーる」について、
5000枚ほどのレコードがあったとか、
ママが美人だったとか、
珈琲がおいしかったとか、
2階は大音量でモダンジャズがかかっていたとか、
学生運動の時期は客層がギラギラしていたとか、
いろんなことを知ることができましたが、
できれば実際に足を運ばれていた方により詳細な部分をおうかがいできればと思い、コメントさせていただいております。


お店の配置(テーブルやイスの様子とか、棚の材質とか、カウンター席の様子であるとか、雰囲気、においなど)や、
そのお店でお客さんや店員さんがどんなことを考えてどんな風に過ごされていたか、というようなことであるとか、
どういった経緯で閉店なされたかということとか、
しあんくれーるで過ごしたことがない私ですが、
お店の様子をあたかも見てきたかのように想像できるように具体的に知りたい気持ちがあります。

演劇のワークといえども、今のところ個人個人のワークであるため、この題材が不特定多数の人たちに触れるように発表されることはありません。
知らないことや体験したことがないことを、あくまでも自分が体験したことがあるかのように人前で発表することができるようになる、ということが目的でございます。

とても一方的で不躾なことを突然申し上げ、恐縮なのですが、
ogawaさんの気持ちがざわつかないようでございましたら、
しあんくれーるのことでご存知なこと、通ってらっしゃったogawaさまだから知ってらっしゃるようなことを、
お教えいただけませんでしょうか?

大変お手数をおかけいたしますが、
差し支えがないようでしたら、おうかがいできるとうれしく思います。
もしお聞かせいただけるようでございましたら、
入力させていただきましたメールアドレスの方にご連絡いただけると幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。


間塚 愛 拝

_ ogawa ― 2012年09月09日 15時09分22秒

間塚 様

ogawaです。

丁重なメールありがとうございます。

まさか、こんな古いブログ記事にコメントがつくとは思いもしませんでした。
写真が見えないのは、このブログの写真を保管していたサーバーとの契約を終えたため見えないのです。スミマセン。

さて、「しあんくれーる」ですが、もう30年以上の前のことになりますね。
別に隠すことでもありませんし、覚えていることをお話します。
私の思い出は、タバコの煙かな。
いついってもタバコの煙がただよっていた記憶があります。
そのころは私も喫煙者でしたので、コーヒーとタバコとJAZZでしょうか。

私なんか若い世代でしたので、私より年上の人が主な客層だったと思います。

タバコの焼け跡のあるテーブル、がたのきたイス。
大音量のJAZZで、隣の友人と話すのも怒鳴らないと聞こえない。
そんな感じでしょう。

メールで送らせていただきますね。

_ ogawaさま ― 2012年09月10日 09時05分56秒

ogawaさま

早速のお返事ありがとうございます。
とてもうれしく拝読いたしました。
しあんくれーるの空気感や温度をより感じることができます。

昨日、アップルハウスに行ったのですが(フルーツサンドおいしかった!)
ママとお父さんもしあんくれーるに行かれたことはあったそうですが、
2階立てで薄暗くってっていうことくらいしか記憶にないとのことでした。
お父さんが、ボックス席だったかなぁ、っておっしゃってました。

厚かましいですが、いろいろとお伺いできればとてもうれしいです。
メール、お待ち申し上げております。

間塚 愛 拝

_ 間塚 愛 ― 2012年09月13日 22時29分48秒

ogawa さま

こんにちは。
ご存知のとおり、マーヒーさまにもご協力いただいております。
お二人ともご親切にしていただき、大変うれしく思っております。

もしよろしければ、
ogawaさまの記憶に残っているしあんくれーるのこともおうかがいできれば、嬉しく思います。
何か思い出されたことなどございましたら、
大変お手数ですがメールをくださると幸いでございます。

ご面倒を申し上げますが、
どうぞよろしくお願いいたします。


間塚 愛 拝

_ ogawa ― 2012年09月17日 09時35分22秒

間塚 様

間塚様はアメブロ使われてますよね、私はアメブロのアカウントを持っていないのでメールが送れませんので、ここに書かせていただきます。

マーヒーさんの書かれている「しあんくれーる」が、当事者の一人で
あるので、そのとおりだと思います。

私が書けるのは追記ぐらいでしょうか。

しあんくれーるに行っていたのは、大学の2~3回生の頃でした。
だいたい月に1回程度でした。
一人かJAZZ好きの友人と2人で行くことが多かったです。
私の大学からは近いというわけではありませんでしたので、このぐらい
の回数でした。
しあんくれーる以外にも、私の地元にもJAZZ喫茶がありましたので、
そちらもよく行ってました。

時代は1980年代前半ですね。
そのころは、すでに学生運動は残党だけが活動し、学生に大きな影響
を与えるものではありませんでした。

しあんくれーるに来る客は、私も含めて議論の場ではなく、JAZZを聴く
ために来てました。
私のイメージでは、圧倒的に男のほうが多かったですね。
それと私なんかは最年少だったかと思います。
コーヒーとタバコとJAZZですよね。
タバコは、今のように閉め出されることなく、当たり前のように吸っていました。

その頃の音楽事情を知っていただくのが早道だと思います。

まずインターネットというものが無く、情報は口コミや雑誌からでした。
ウォークマンが発売されて、自分の好きな音楽をカセットテープに入れて持ち出すことができるようになりました。

まだCDは発明されておらず、レコードが主流でした。
「れいこうどう」(漢字忘れました)というレンタル・レコード屋が登場したのもこの頃です。
もちろんVIDEOも家庭用は発売されていませんでした。

つまり、好きな音楽を聴こうと思えばレコードを買うか借りる、そして
レコードを聴くかカセットテープに録音する。
FM番組表からエア・チェックして、それをカセットテープに録音する。
ぐらいしか手段がありませんでした。
当然、音質も落ちます。

テレビでは歌謡曲の番組はあっても、ライブのオン・エアーなどは
まれでした。

JAZZ喫茶へ行く、ライブハウスへ行く、京都会館にコンサートに行く。
しあんくれーるに行くことが特別なのではなくて、良い音楽を聴くためややミュージシャンを見に行くというは、当たり前の行動でした。

今のようにネット上でなにもかも入手できて、高音質の音楽を気軽に
持ち歩くことができなかった時代です。

そういう意味でも、しあんくれーるは私にとって、上質の音楽を聴くための大事な店でした。

社会人になって、CDやVIDEOが普及したのと大阪に勤めていたのでしあんくれーるに行くのは年1回程度でした。

お芝居に反映されるなら、このような音楽背景も知っていただけたら良いかと思います。

_ 間塚 ― 2012年10月17日 21時07分23秒

ogawaさま

このたびは、調査にご協力いただきありがとうございました。
おかげさまで、発表を終えることができました。

その時代、その場所にいた方から貴重な意見をお聞かせいただき、
非常にありがたく、
当時の温度を感じることができました。

本当にありがとうございました。深謝いたします。

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