旅の断片・・・アエロフロート・ソビエト国営航空2005年12月12日 20時54分07秒

アエロフロート

1987年、東欧へ行くときに使ったのがアエロフロート・ソビエト国営航空であった。
当時、まだ東西冷戦のさなか。
西側諸国の日本発ヨーロッパ行のフライトは、ほとんどアラスカのアンカレッジ経由で17時間かかっていた。
その中で自国のシベリア上空を飛ぶことができるアエロフロートは、ヨーロッパまで最短時間で飛ぶことができたし、当時の東側の諸国に数多くのフライトを持っていた。

成田発モスクワ行き。
リア4発ジェットのイリューシン・・・尾翼には今は無きソビエトの国旗が描かれている。




乗ってみると、狭い。
シートのリクライニングは、バタッと倒れて、後部座席の人に当たってしまった。
離陸すると騒音がすさまじい。
空調ダクトからは白い霧で出てくる。
カーテンの隙間から見えるのはビジネスクラスだが、シートを見るとさほどでもない。
狭い通路を、ロシア人のスチュワーデス(キャビン・アテンダント)が歩いていく・・・ヒップが通路を塞いでいる・・・
10時間でモスクワ・シェレメチャボ空港に到着。
だだっ広いけど、暗い。
社会主義の非効率で時間のかかる入国審査で、空港敷地内にあるトランジット・ホテルへ運ばれた。



通称「監獄ホテル」。
トランジット客のためのアエロフロートのサービスなのだが、食事はたくさんあるメニューから作れるのはビーフストロガノフのみ。
ホテルの外には一歩も出ることができない。
私は翌朝のブダペスト便だったが、先に入っていたフィンランド人は27時間トランジットでアンゴラ便を待っているといっていた。
このホテルに27時間とは気が滅入りそうだ・・・
なので「フィンランド人」と「アンゴラ」は記憶に残っている。

後年、このホテルは有料となったという。
今はシベリア上空を飛んで13時間でヨーロッパへ着く、今このホテルに泊まる日本人はほとんどいないであろう。
というか、存在しているのだろうか?




翌朝、ホテルから空港へ運ばれブタペスト便に登場。
そして2時間のフライト。
この写真を見て思い出した・・・ブダペストに着いたら曇っていて、そして市内にでる方法がわからなくて、ドイツ人にツアーバスに乗せてもらい市内まで行ったことを。

ソビエト崩壊後、日本乗り入れのアエロフロートはイリューシンからエアバスになり、また殆どの航空会社はシベリア上空を飛ぶのでモスクワでトランジットはなくなった。

当時はボロだけど「速くて」「安い」ということでパキスタン航空とならび旅行者には有名な航空会社であった。