旅本の賞味期限は ― 2006年12月24日 13時41分40秒

「旅本」、ここでは「海外旅行記」の意味で使います。
特派員の滞在記や学術調査の本は今回は省きます。
名著が多いですが、話が膨らんで収拾がつかなくなりそうなので、また後日。
古くは金子光晴「マレー蘭印紀行」「ねむれ巴里」、小田実「なんでも見てやろう」のような名著もありますが、今日はもう少し時代を下って80年代ぐらいからスタートしてみましょう。
旅本を2種類に分けてみましょう。。
一つは、作家が書いた旅行記。
沢木耕太郎「深夜特急」、椎名誠「インドでわしも考えた」、井上靖「異国の星」などなど。
すでに旅行記を発表した時には「作家」として評価を得ていて著書の一つであるケース。
もう一つ、ライター、イラストレーター、カメラマンや普通の旅人であった人が旅行記を書いて評価を得たケース。
蔵前仁一、下川裕治、前川健一、江口まゆみ、小林紀晴 などなど。
80年半ばの蔵前仁一の「ゴーゴー・インド」、これが「旅本」が一般的になったきっかけだったと思います。
何故こう思うかというと、それまでも海外旅行記を結構読んでいました。
先の金子光晴、小田実、藤原新也や桐島洋子など主だった本はすでに読んで持っていましたしそれ以外だと新聞社、企業の特派員の滞在記もよく読んでいました。
ふつうの旅人が書いた本は、旺文社文庫などで少数刊行されていたぐらいでした。
「ゴーゴー・インド」は、当時の書評でも新しいタイプの旅行記と好意的に評されていました、それだけ新鮮でした。
これををきっかけに、本屋の棚にいわゆる素人が書く旅本がドンと増えたのを実感しました。
同時に、この頃リクルートから「AB-ROAD」(海外旅行情報誌)が隔月刊で発売されて、「海外旅行の情報」を求める人が確実に増えてきました。
そして「深夜特急」の刊行。
こういう時代背景の中、旅本が増殖していきました。
内容は玉石混合、一回読んで「買うんじゃなかった。金返せ。」と叫んだことも数知れず。
何処へ行き、誰と会い、こんなものを食べた形式の書き方だと、よほど上手い書き手か、イラスト、写真が上手くないと金太郎アメのように感じました。
名前を書かせていただいた著者は、やはり一段上かなと、ただ下川氏の書き方は好みではありませんが。
この手の旅本の書き手は素木文生で最後かなと思っています。
90年代半ばよりインターネットの普及で私も含めて多くの旅の記録が発信されるようになると、旅本が一気に色褪せていくのを感じました。
何処を旅したたぐいの情報程度の本や旅のハウ・トゥーの本はネットの普及で淘汰されてしまいました。
ネットの個人旅行記のほうが面白いものが多くなりましたし、情報はリアルタイムのほうが正確ですしね。
私もこの頃、お気に入りの本を残してあらかた処分しました。
賞味期限が切れたというところでしょうか。
そう東西冷戦が終結した時、スパイ小説が激減したように。
そして2006年秋「AB-ROAD」が休刊となりました。
全盛期5cmぐらいの厚さのあったのも、最後は薄くなってしまいました。
旅の予約や情報収集が本からネットに移行した象徴です。
じゃぁ、古い旅行記は色褪せてしまったのかというと、このblogを書く時に何冊か読み直しました。
ありきたりの結論ですが今よんでも面白い本は面白いということです。
情報はもちろん古いですが、当時の自分の旅をトレースしていく面白さがあります。
それと書き手の感性と視点の面白さですね。
今も本屋の棚には、新たな書き手の本も並んでいます。
さて、この先どれだけの「旅本」が定番として残っていくのでしょうか。
それはそれで気になりますね。
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